どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2021.07.18
資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。
別名:麋城(びじょう)、巨鹿城。岐阜県大垣市にある連郭輪郭複合式平城。
築城は竹腰尚綱によるなど諸説あり、その後氏家卜全らが改修。
1959年に天守が外観復元され、2011年には改修工事が行われた。
まずは、天守をはじめとした建築物群を一枚に収められる城西広場から。
往時は、堀と竹之丸と呼ばれる曲輪があった場所付近からの撮影です。
城西広場には、大垣藩初代藩主としてまちづくりを行った戸田氏鉄公の像も。
個人的には、全国でも屈指のかっこよさを誇る騎馬像だと思います。
西側から本丸へ行く際にくぐるのが、この埋門でもある西門。
ちなみに、大垣城は再建時の石垣積み直しに多くの石灰岩が使われており、
化石が含まれている石が結構あります。これを探すのも楽しみの一つ。
西門から本丸に入り付近の化石を見たあとは、外観復元された天守へ。
2011年に窓などを改修し、焼失前の外観にさらに近づいたとのことです。
お次は天守内へ…と思いましたが、この日は残念ながら休館日でした。
気を取り直して、本丸東側にある東門の方へ行きましょう。
もともと門はここにはなく、雄大なこの門はかつての柳口門を移築したもの。
本丸側の石垣には化石と刻印石があり、こちらも要チェックです。
東門の隣りにあるのが、左右に多聞を備える艮(うしとら)櫓。
北側の入口である水之手門跡へ続く塀と石垣も見渡せます。
石垣を左手にみながら西方面へ進み、水之手門跡へ。
門跡の左右にある石垣は、色合いも積み方も個性的ですね。
お次は乾櫓。隣には、関ヶ原の合戦時におあむが松からたらい舟に乗って
堀を渡り難を逃れた、という逸話にちなんだ「おあむの松」もあります。
続いては、見どころ満載の天守台石垣北西側。
隅部の石には、1896年大洪水時の水位線が刻まれております。
南端付近にはわかりやすい化石もあるので、ぜひ探してみてください。
現在も残る大垣城の数少ない遺構の一つが、水門川となっているこの外堀。
江戸時代に、大垣と桑名をむすぶ運河として活躍していた名残もちらほら。
大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」結びの地としても知られ、芭蕉句碑も川沿いに点在。
外堀に囲まれていた大垣城。城内への出入りを管理していた門跡が七つあり、
こちらはその中の一つである東口大手門跡。現在は広峰神社が建っております。
全部は載せきれないのであと2つ。一枚目は東総門跡、二枚目は南口大手門跡です。
石垣の化石は他にもまだあるようで、次は事前に調べていこうかと思います。
残る名古屋城は過去に掲載済み、松前城は未踏のためまたの機会に。
これにて、復元天守の巻は一旦終了。次回から新シリーズをお送りします。
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電車で行く:JR「大垣駅」より南へ徒歩約10分。
車 で行く:名神高速道路「大垣IC」より、北方面へ約15分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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