武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年7月18日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復元天守の巻:大垣城

2021.07.18

復元天守とは

資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。

水の都で歴史を物語る「大垣城」

別名:麋城(びじょう)、巨鹿城。岐阜県大垣市にある連郭輪郭複合式平城。
築城は竹腰尚綱によるなど諸説あり、その後氏家卜全らが改修。
1959年に天守が外観復元され、2011年には改修工事が行われた。

城西広場から

まずは、天守をはじめとした建築物群を一枚に収められる城西広場から。
往時は、堀と竹之丸と呼ばれる曲輪があった場所付近からの撮影です。

城西広場には、大垣藩初代藩主としてまちづくりを行った戸田氏鉄公の像も。
個人的には、全国でも屈指のかっこよさを誇る騎馬像だと思います。

西門付近

西側から本丸へ行く際にくぐるのが、この埋門でもある西門。

ちなみに、大垣城は再建時の石垣積み直しに多くの石灰岩が使われており、
化石が含まれている石が結構あります。これを探すのも楽しみの一つ。


天守

西門から本丸に入り付近の化石を見たあとは、外観復元された天守へ。
2011年に窓などを改修し、焼失前の外観にさらに近づいたとのことです。

本丸跡と三重櫓

お次は天守内へ…と思いましたが、この日は残念ながら休館日でした。
気を取り直して、本丸東側にある東門の方へ行きましょう。

もともと門はここにはなく、雄大なこの門はかつての柳口門を移築したもの。
本丸側の石垣には化石と刻印石があり、こちらも要チェックです。

艮櫓

東門の隣りにあるのが、左右に多聞を備える艮(うしとら)櫓。
北側の入口である水之手門跡へ続く塀と石垣も見渡せます。

水之手門跡と乾櫓

石垣を左手にみながら西方面へ進み、水之手門跡へ。
門跡の左右にある石垣は、色合いも積み方も個性的ですね。

お次は乾櫓。隣には、関ヶ原の合戦時におあむが松からたらい舟に乗って
堀を渡り難を逃れた、という逸話にちなんだ「おあむの松」もあります。

天守台石垣

続いては、見どころ満載の天守台石垣北西側。
隅部の石には、1896年大洪水時の水位線が刻まれております。

南端付近にはわかりやすい化石もあるので、ぜひ探してみてください。

外堀

現在も残る大垣城の数少ない遺構の一つが、水門川となっているこの外堀。
江戸時代に、大垣と桑名をむすぶ運河として活躍していた名残もちらほら。

大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」結びの地としても知られ、芭蕉句碑も川沿いに点在。

七口之門跡

外堀に囲まれていた大垣城。城内への出入りを管理していた門跡が七つあり、
こちらはその中の一つである東口大手門跡。現在は広峰神社が建っております。

全部は載せきれないのであと2つ。一枚目は東総門跡、二枚目は南口大手門跡です。

石垣の化石は他にもまだあるようで、次は事前に調べていこうかと思います。
残る名古屋城は過去に掲載済み、松前城は未踏のためまたの機会に。
これにて、復元天守の巻は一旦終了。次回から新シリーズをお送りします。

 

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大垣城へのアクセス

電車で行く:JR「大垣駅」より南へ徒歩約10分。
車 で行く:名神高速道路「大垣IC」より、北方面へ約15分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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