武将愛 SAMURAI HEART

どこにいた家康 Vol.42 松尾山城

2023.11.04

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

関ヶ原の戦いにおける重要地だった「松尾山城」

今回の史跡は、関ヶ原の戦いで小早川秀秋が陣取った「松尾山城」です。

1570年頃、浅井長政が対織田信長のため築かせたのが松尾山城のはじまりで、
浅井長政の家臣・樋口直房、その後に織田信長の家臣・不破光治が入城。

関ヶ原の戦い直前、石田三成が増田長盛に宛てた書状によれば、
松尾山城には西軍の総大将・毛利輝元が入る予定だったとされ、
現在残る城郭遺構はこの時期に改修されたものだといわれております。

小早川秀秋陣跡というのぼりの立つ主郭には土塁や桝形虎口が良好に残り、
主郭下にも馬出状の曲輪や竪堀など多くの遺構が現存。

松尾山北側の登山口には駐車場も完備されており、
山頂までも整備された道が続く優しめの山城です。

関ヶ原の戦いに関する記事が盛り沢山!一覧はこちら>

 

「松尾山城」の見学ルート①

・駐車場に車を停め、ここから登城開始

・整備された道を登っていくと、10分ほどでこの分岐路に

・さらに10分ほど登るとこの看板が頭上にあらわれ、
5分ほど進めば山頂の旗が見えてきます

・北側の「虎口」から進入し、松尾山山頂の「主郭」へ到着

・松尾山城というより、「小早川秀秋陣跡」という色が強いですね
ここから関ヶ原を見渡すことができ、いかに重要な地だったかうかがい知れます


・主郭をぐるっと囲む「土塁」、写真は西側と東側のもの

 

「松尾山城」に陣取った小早川秀秋の動機は?

関ヶ原の戦いといえば、話題になるのが小早川秀秋の裏切り。

徳川家康と石田三成、どちらの陣営につくかを決めかねているうちに開戦してしまい、
小早川秀秋は関ヶ原を見渡せる松尾山城から戦の成り行きを傍観することに。
その態度にいら立った徳川家康が松尾山に向け発砲を命じ、
恐怖した小早川秀秋が大谷吉継の陣に攻め込んだことで東軍の勝利に傾いた
…というのが語られてきた関ヶ原の戦いの有名なシーンですね。

関ヶ原の戦い前における小早川秀秋の立ち居振る舞いには謎が多く、
当初は西軍として伏見城の戦いに参戦した小早川秀秋でしたが、
決戦前日に西軍だった伊藤盛正を追い出し松尾山城に布陣。
要衝地にある松尾山城から西軍を追い出したことや、
大谷吉継が小早川秀秋を警戒するように布陣した節があることから、
小早川秀秋は初めから東軍につくつもりだったのではないか、という説もあります。

小早川秀秋の心が東軍に傾いたことについても、
・親代わりだった北政所が東軍を支持したから?
・石田三成の讒言で転封になりかけるも、徳川家康の取り成しで事なきを得たから?
などが理由として挙げられますが、どちらも決定打とはなっておりません。

豊臣秀吉の養子となり、幼いころから酒色におぼれることとなった小早川秀秋は、
関ヶ原の戦いから二年後、若くしてこの世を去ることとなります。
徳川家康の天下取りを決定づけ、後世まで裏切り者といわれている小早川秀秋。
松尾山城に陣取った時の心の内は、はたしてどのようなものだったのでしょうか。

関ヶ原の戦いと小早川秀秋を振り返りながら「松尾山」登上の景色をご紹介
(2016年2月の記事です)

「松尾山城」の見学ルート②

・松尾山城のみどころのひとつ、主郭西側にある「桝形虎口」

・桝形虎口の先へ行くと、「馬出状の曲輪」が見えてきます

・馬出状の曲輪をさらに南へ進むと、良好な「土橋」が

・土橋の左右には「堀切」が伸びております

・少し戻り主郭下の道へ、素晴らしい「切岸」を見上げましょう

・主郭西側下の曲輪へ到着、曲輪間の広大な「堀切」をチェック

・主郭下の北西側にある「喰違い土塁」
北側から進入してきた敵の直進を許さない仕掛けですね

・最後は、主郭下の北側にある「竪堀」
草で覆われており竪堀も浅めですが、遺構はしっかりと確認できます

 

次回どうなる、『どうする家康』

関ヶ原前の逸話を回収しつつ、ウィリアム・アダムスも登場した前回。
徳川家康を怒らせる内容をつづった直江兼続の「直江状」のほか、
形を変えて、石田三成が大谷吉継の茶を飲み干すという逸話もでましたね。

次回は鳥居元忠が籠り西軍を迎え撃つ「伏見城の戦い」や、
徳川家康が命運をかけて開いた「小山評定」が主な見どころでしょうか。
次回予告を見ると、徳川家康は徳川秀忠に真田昌幸攻めを命じた、
という線で行くようなので、その過程も楽しみに視聴したいと思います。


桃配山にある「徳川家康最初陣跡」

今回の史跡「松尾山城」

松尾山城
場所:岐阜県不破郡関ケ原町山中

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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