100名城を巡る 「山形城」
2024.06.30
2020.10.10
資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。
別名:鶴ケ城など。福島県会津若松市にある梯郭式平山城。
葦名直盛築城、蒲生氏郷や加藤明成による整備改修とされる。
2011年に、天守の屋根が明治時代以前の赤瓦葺に復元された。
復元天守への道は北出丸から、西出丸から、西の丸からの3つあり、
今回は鶴ヶ城会館から北出丸の大手門へ行くルートで入ってゆきましょう。
堅固な枡形状の大手門跡とその石垣。ここをくぐり抜ければ北出丸へ。
北出丸から南に伸びるのが椿坂、その先に太鼓門跡と天守が見えてきます。
石垣の反対側にはV字型の武者走りがあり、建築物へ続く階段として活躍しました。
太鼓門跡から天守西側にある帯曲輪へ。桜の時期には、沢山の人で賑わう場所。
帯曲輪と本丸の間に立ちはだかる、表門または鉄門とも呼ばれる巨大な門。
本丸内南方向へ南走長屋が続いており、その先には干飯櫓が建つというつくり。
表門をくぐると、この大広間跡をはじめとした広大な本丸があらわれます。
大広間跡の奥に佇むのが茶室麟閣。千利休の子・少庵ゆかりの茶室とのこと。
こちらは本丸東側にある御三階跡。会津若松城唯一の現存建築物として、
現在は会津若松市内にある阿弥陀寺に移築されております。
御三階跡後方の階段を登ると、二の丸へ続く廊下橋や門跡を上から見られます。
こちらは、階段から戻り御三階跡付近から撮影した桜と天守。
本丸から見上げる、天守東側の表情。晴天に赤瓦が映えますね。
ここから天守内部へ。入口である地階は穴蔵になっており、
塩や保存用食料の貯蔵庫する「塩蔵」として利用されていました。
1枚目は、天守最上階から望む北東側、飯盛山方面の眺め。
2枚目は、干飯櫓に続く南走長屋の内部の様子。
こちらは、会津若松城の東側にある小田山城からの遠望。
戊辰戦争の際、新政府軍はここに砲陣を設けたそうな。
最後は天守のライトアップ。桜の花びらをイメージした演出も。
まだ見ぬ満開の桜と赤瓦の天守の共演。いつか見に行きたいと思っております。
次回は宇喜多秀家築城、黒色の城壁が美しいあのお城を予定。
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電車で行く:JR「福知山駅」より東へ徒歩約15分。
車 で行く:舞鶴若狭自動車道「福知山IC」より西へ約10分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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