100名城を巡る 甲府城
2024.10.29
2016.09.13
織田信長の小姓で有名な森蘭丸の出生地と言われる、美濃金山城址の下にある【蘭丸ふるさとの森】。
幼名を乱法師、のちに森 成利・森 乱成利・森乱法師成利など、いくつもの名前で伝えられていますが、森 蘭丸が伝わりやすいかもしれません。
蘭丸の出生地は、この岐阜県可児市の美濃金山城の他に、尾張国葉栗郡(愛知県一宮市浅井町蓮台)の蓮台城と、二つの説があります。
これは森蘭丸が生まれる年、父 森可成が織田信長から美濃金山城を与えられ、居城を蓮台城から美濃金山城に移したことから、二つの出生地が伝えられています。
1577年(天正5年)弟達とともに織田信長の小姓となり、1582年 本能寺の変で織田信長と弟達とともに、享年18歳の年 討ち死にしました。
その出生地、【蘭丸ふるさとの森】をご紹介します。
蘭丸ふるさとの森 第一駐車場は、蘭丸ふるさとの森の下から遊歩道を歩くコースが楽しめます。
喫茶店もあり、休憩もできます。
遊歩道の始まりで、大手道から石畳階段を上がります。
植木で森家の家紋【鶴丸】が象られています。
蘭丸が生まれたとき、産湯に使われた井戸です。
美濃金山城は山城で、城に井戸がありませんでした。
そのため、ここまで産湯の水を汲みに来たと伝えられています。
坊丸広場は、森可成の四男、森蘭丸の弟の名前が付いた広場です。
坊丸は幼名でのちの名を森長隆と言い兄蘭丸とともに織田信長の小姓でした。
1582年本能寺の変にて、織田信長とともに討ち死にしました。享年17歳
春になると千本もの桜が花を咲かせ、花見の名所になっています。
蘭丸ふるさとの森の遊歩道から、登城の径を上がった場所にある【物見の櫓】は、蘭丸ふるさとの森が一望できる見晴らしの良い場所です。
力丸広場は、森可成の五男、幼名力丸のちの名を森長氏の名前が付いた広場です。
兄 森蘭丸、森長隆(坊丸)とともに織田信長の小姓として仕え、1582年本能寺の変にて、織田信長と兄、森蘭丸、森長隆(坊丸)ともに討ち死にしました。享年15歳
蘭丸ふるさとの森は、森可成が居城地を変え、美濃金山城に居を移した時、身重の妻 えいも居を移したと考えられ、蘭丸の出生地とされました。
12歳で織田信長の小姓になるまで、この地で何を見て何を感じたのか、蘭丸ふるさとの森で感じる事が出来ると思います。
近くには、森家の菩提寺 可成寺があり、父 森可成を始め、森蘭丸・坊丸・力丸などの森家一族のお墓もあり、合わせて行くことができます。
住所:岐阜県可児市兼山1418番地23
開園時間:8:30~17:00
休園日:12月29日~1月3日
アクセス:公共交通機関 名鉄広見線明智駅からYAOバスで10分城戸坂下車
車 東海環状自動車道 可児御嵩ICから車で15分
KEN
はじめまして。岐阜県出身・在住の歴史をこよなく愛している料理系男子KENです。 ライター歴はまだまだひよっこですが、記事を読んでくださる皆様に、 当時の武将たちの見た風景、感じた思いを伝えられる記事作りに励んでいます。
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