愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2017.02.26
2月11日の石垣修復見学会に参加しました。
石垣を一旦外した場所で、石からわかることをレクチャーいただいた記事はコチラで掲載しています。
今回は石垣が飛び出ないようにするための土木工事の現場のご紹介です。
→<前回記事>名古屋城の石垣修復現場見学会に参加しました! その1の記事はこちらから
石垣の修復現場は堀底に降りていきます。
途中このような山砂と書かれた砂の山が。これは石垣を取り出した時にでてきた砂などを一旦仮置きしているところ。
実は名古屋城の中でも地盤の特徴がそれぞれあります。
名古屋台地と呼ばれる丘の上には本丸、今回の「本丸搦手馬出(ほんまるからめてうまだし)」は、濃尾平野の砂の上に建てられています。
砂は地盤が強くないので、崩れないように下のほうを堅牢にする必要があります。
その技法で当時使われていたものは、石で重しをかけて砂の密度をあげて積んでいくという方法なのだとか。
ピンとこないですよね(笑)
「コップに砂をいれて割り箸を立てる場合、砂に力をかけて、固めてカチカチにすると逆さにしても落ちなくなるのと同じ原理」と、教えていただきました。
ずんずんと下っていく参加者。
堀の底なんてなかなか行けないですからね。これは貴重な体験。
学芸員さんによる石垣の説明。
この学芸員さんが石垣修復土木工事を担当しているようです。
学芸員さんの領域、めちゃくちゃ広くて驚きます。
ここではそれぞれ担当した藩が違う石垣を見比べることができました。
まず左に見えるのが鍋島藩製作の石垣、
右は前田藩の石垣です。
万が一の脱出用の門と言われる「埋御門」も見られました。
その特徴は石垣の石。
それぞれ藩から材料を持ち込むので、佐賀の鍋島藩が持ってきた石はグレーが特徴の花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)。
前田藩は砂岩を使っているので全体的に白っぽいです。
採掘する場所によって石の特徴が異なっているというのを、味わえる場所でした。
ここでは前田藩側の石垣に、埋め立てた跡のようなものがあるのはもともとは橋であった場所で、はしごを使って堀底に下りることができたのではないかと言われているそうです。
堀底に降りて何をするかというと、私たちが立っている場所は堀と水堀の境目。当時の船着き場付近なのです。
水堀の石垣の修復現場を見てみます。
とっても広い池というか湖レベルの大きさですね。
修復計画の1つ、石垣の下の部分。3段目が前に飛び出してきています。
どうしてそうなっているかというと、石垣は今日まで修復を繰り返してきています。
飛び出してしまう理由は浸水。水が染み込んででていかないと溜まってしまい、石を押し出してしまうのだそうです。
200キロの石で擁壁を作って補強する方法で、修復しています。
修復方法は昔の工法といまの工法のミックスするそうです。
4メートルの松の杭を打ち、三角に結んで200キロの石を入れて強度を上げる。
昔もこの工法が使われていることから、江戸時代の職人もこのあたりの地盤の弱さに気づいていたのではということでした。
そんなこんなで水堀の石垣も十分に堪能し、見学会は終了です。
当時の絵図ではこのあたりは美しい庭と水堀。船でゆらゆらと堀の中を散歩することもできたそうです。
非常に優雅な場所ですね。
しかし地盤はけして堅牢ではないため、職人さんが修復し続けて今に至ると思うと、石垣の歴史は本当におもしろいなと思いました。
またこうしたイベントに参加したいです。
→<前回記事>名古屋城の石垣修復現場見学会に参加しました! その1の記事はこちらから
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北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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