武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2020年4月25日記事のため内容が古い可能性があります。

足跡を巡る 織田信長の巻:其の二

2020.04.25

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

村木砦の戦い

正徳寺で道三と対面後、信長の戦いは激化してゆきます。
まずは、緒川城を攻めに来た今川方と、1554年に村木砦で激突。

この戦いで勝利を収めるも、敵味方多くの負傷者が出たとのこと。
こちらの写真は緒川城跡です。

村木砦跡
所在地:愛知県知多郡東浦町大字森岡取手30

緒川城跡
所在地:愛知県知多郡東浦町大字緒川古城

尾張統一へ

1554年には、信長が尾張のトップだった斯波義銀を保護します。
これにより、かつての主家筋だった清洲討伐の大義名分を獲得。
信長はこの好機に清洲城を攻略し、清洲織田家を滅亡させました。

清洲城跡
所在地:愛知県清須市朝日城屋敷1−1

弟・信行との争い

着々と自らの地位を固める信長でしたが、1556年に事態は急変。
この年、義父・斎藤道三が子の義龍に討ち取られてしまいました。
この機を逃すまいと、林通勝・柴田勝家らが信行を擁立するため挙兵。
信長はこの動きを察知し、名塚砦を築き戦いに備えました。

数日後、兄弟は稲生原にて激突します。序盤は数で勝る信行軍が優勢。
しかし徐々に形勢逆転し、森可成などの活躍により信長軍が勝利。
敗北した信行は、兄弟の母・土田御前のとりなしにより死は免れます。
…が、後にまた謀反を企み、あえなく暗殺されてしまいました。

名塚砦跡(名塚白山神社)
所在地:愛知県名古屋市西区西区名塚町4丁目22−1

稲生原古戦場跡(庚申塚)
所在地:愛知県名古屋市西区名塚町1丁目124

同族争いの終結

尾張守護・斯波義銀を追放し、尾張統一へ残すは岩倉織田氏。
1558年に浮野で戦い勝利すると、岩倉城を攻め織田信賢はやむなく降伏。
ここに長い同族争いが終結、ついに信長は尾張統一を果たしました。

浮野古戦場跡
所在地:愛知県一宮市千秋町浮野海道25

桶狭間の戦い前夜

1559年に上洛、尾張統一を世に知らしめた信長ですが、
強大な隣人・今川氏の脅威が去ったわけではありません。

信長はその侵攻に備え、今川の支配下となっていた鳴海城の周りに
善照寺・中嶋・丹下、大高城の周りに丸根・鷲津などの砦を築きました。
そして翌年、舞台は桶狭間へ。


善照寺砦跡(砦公園)
所在地:愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3

丸根砦跡
所在地:愛知県名古屋市緑区大高町丸根16

鷲津砦跡
所在地:愛知県名古屋市緑区大高町鷲津山

おまけ

其の一は、柴田勝家の出生地。一時は信行を擁立し信長と敵対しましたが、
その後は重臣として欠かせない人物となってゆきました。

其の二は、牧村城跡。岩倉織田家の家臣だった父と兄の戦死により、
15歳だった山内一豊が身を寄せたお城とのことです。

明徳寺
所在地:愛知県名古屋市名東区陸前町1310

牧村城跡(円長寺)
所在地:岐阜県安八郡安八町牧1386

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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