武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2018年4月10日記事のため内容が古い可能性があります。

堀と石垣で楽しむ岡崎城

2018.04.10

岡崎城は徳川家ゆかりの城で、家康が生まれた時に使ったという「産湯の井戸」があることでも有名です。
模擬天守、三河武士の館など資料館なども充実していますが、その遺構を見るもの十分楽しめます。

明治6年から7年の間に城郭は取り壊されてしまい、ハッキリとした遺構があるのは石垣と堀のみ。
旧本丸のちが城址公園として残り、現在の岡崎公園になっています。

今回は岡崎城の堀と石垣などの遺構を簡単にご紹介します。

直線に続く石垣では国内最長の乙川沿いの石垣

現在の岡崎城の基礎は、家康が関東移封となった時、豊臣の重臣・田中吉政が5万石の城主となって改修を行いました。
当時は慶長6年(1601年)までに城下町を作り、堀と土塁で城を囲う総構えを作ります。

この田中吉政は関ヶ原合戦では東軍につき、石田三成を捕らえた功績によって筑後柳川35万石を与えられることになります、

また、菅生川の南を通っていた東海道を城下に引き入れることで、東西約 1.5km、南北約 1km の大城郭となりました。
城の南側にある乙川沿いの石垣は、切れ目なく400メートル続いていて、直線に続く城の石垣としては国内最長といわれています。

この広い敷地は「菅生曲輪」です。
重臣や足軽などが住む、侍屋敷の区画でした。

昨年12月に発掘調査の現地報告会が行われました。

そのすぐ近くには東曲輪へ通じる「切通し」が。
岡崎城が建つ丘陵の尾根筋を切り分けていると言われていて、最初は空堀、のちに堀底道として活用されたのではとのこと。

直角に曲がる枡形になっていて、敵の侵入を防ぐための防御目的もあったというのがわかります。

場内に入ると青海堀、持仏堂曲輪という家康時代の遺構が残る場所があります。
細い帯曲輪を囲み二重となる中世の空堀で、土造りと石造りの両方が見られる貴重な堀です。

遺構を見た後の岡崎城フード「半蔵餅」

くるりと岡崎城外も含め、曲輪や堀を見て歩くと結構な距離になるので休憩したいところ。
岡崎城っぽいものが食べられるのは、桜茶屋の「半蔵餅」。


手裏剣のような形が可愛いですね。
お城の堀を眺めながら食べることができます。

岡崎城へのアクセス

住所:愛知県岡崎市康生町561-1
電話:0564-24-2204

<電車>
ルート1:名鉄「東岡崎駅」より徒歩15分
ルート2:名鉄「東岡崎駅」より名鉄バス大樹寺行他「康生町」下車徒歩5分
ルート3:愛環「中岡崎駅」より徒歩10分

<駐車場>
7:00~22:00…100円/30分
22:00-翌日7:00…50円/30分
※上限1,500円で24時間利用可能。

<入場時間>
9:00〜17:00(入館は16:30まで)

<定休日>
年末(12月29日~12月31日)

<入場料金>
天守閣
一般大人200円/一般小人100円
【家康館との共通入場券:一般大人510円/一般小人270円】

<サイト>
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/okazakijo/top

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北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

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