武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年1月26日記事のため内容が古い可能性があります。

横浜にも家康の痕跡あった!神奈川宿「金蔵院」と家康のつながりって?

2019.01.26

横浜駅から京浜急行各駅電車で3つ目

「神奈川新町」駅には、東海道の宿場「神奈川宿」の面影が今も地元の方々と市によって保護されています。

真言宗智山派寺院の金蔵院は、醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が開基となり、寛治元年(1087)に創建されました。

その後、慶長4年(1599)に徳川家康より寺領10石を拝領、十石の朱印地を許され、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院となりました。

玉川八十八ヶ所霊場3番、東国八十八ヵ所霊場20番です。

神奈川宿で最古のお寺「金蔵院」

 

 

金蔵院の本堂前には、徳川家康の「御手折梅」と称された梅の古木

 

ありました!

それがこちら。

あれ?何だか小さい?

この手前の木がそうです。

家康さんの御手植えにしては、少し小さい気がします。

こちらかな?

いえいえ。

やはり、最初の本堂前の木がそうでした。

この梅の木が少し小さいのは三代目だからだそうです。

横浜は、大空襲に震災と難を乗り越えて今があります。

こうして、三代目としてこの地にあるだけでも、横浜の歴史を感じとる術になっていますね。

有り難いです。

 

家康のつくった伝馬制度

家康は江戸幕府を開くと、さまざまな制度を展開していきましたよね。

東海道整備もそのひとつです。

家康は、豊臣政権下で関東地方を領土としているころから江戸と小田原間の整備に着手していました。

さすがですね。

そして1601年に伝馬制度を定め、基盤を固めました。

伝馬制度とは、江戸日本橋から京都までを結ぶ「東海道五十三次」を、原則として宿駅ごとに継ぎ送ることとした制度です。

キチンと宿場を通って行きなさいね・・ということです。

 

神奈川宿は海の脇の街道

 

武蔵風土記稿(新編)によると、金蔵院は次のように記されています。

「西側なり。

海道へ3間5尺出はりたり、新義真言宗山城醍醐三宝院末なり。

神鏡山東曼陀羅寺と号す。寺領10石の御朱印は慶長4年に賜はりし所なり。」

つまり、神奈川宿はここにも記されているように海沿いの街道。

この海沿いに金蔵院がありました。

 

こちらが本来の山門です。

どうやら、こちらは普段は、開けていない様子です。

近くで見るとなかなか。さすがに歴史を感じる重厚な門でした。

 

金蔵院 アクセス

横浜市神奈川区東神奈川1-4-3

京浜急行 仲木戸駅 徒歩5分

 

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rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

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