武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年10月11日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 現存天守の巻:姫路城(中編)

2019.10.11

現存天守とは

修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。

白き不戦の城「姫路城」

別名:白鷺城。兵庫県姫路市にある渦郭式平山城。国宝、世界遺産。
赤松氏による築城、黒田氏・羽柴氏の時代を経て徐々に大規模化。
現在の城郭は、城主が池田輝政の時代になってからのもの。

大天守・地階から一階

さあ、大天守内部へ入ってゆきましょう。まずは入口から地階へ。

右奥にあるのが「流し」。用途は不明ですが、水がはれるようになっています。

続いて一階。石落としもありますが、ブレブレの写真しかないので掲載断念…

大天守・二階から三階

この階段で一階から二階へ。2枚目写真の右奥には「破風の間」があります。

三階では、大天守を支える西大柱と東大柱が見られます。写真は東大柱。

大天守・四階から五階

四階から少しコンパクトに。窓の上には銃の硝煙が充満しないようにする「高窓」が。

こちらは、外を見やすくするため作られた「石打棚」。
窓が高い位置にあるのは、外側に大千鳥破風があるためです。

五階。地階から伸びる二本柱は、この階の天井までを支えております。

西の丸方面の眺めは、唐破風と鯱の入る五階からもオススメ。

大天守・六階

最上階には、長壁神社が。天守完成までに怪異が起こったり
池田輝政が病気になったりしたのは長壁姫の祟りだ!と恐れ、祀ったそうな。

こちらの写真は、南側の眺め。大手前通りが、姫路駅まで直線でつながっております。

東小天守と乾小天守

大天守を下り、イの渡櫓を通過すると東小天守へ。
2枚目は、昭和の大修理の際に作られた模型。1/20サイズでなかなかの迫力です。

東小天守と乾小天守を結ぶのが、このロの渡櫓。2枚目は乾小天守の内部。

備前丸から上山里曲輪へ

天守群から外へ出て左手に進むと備前丸へ。見上げる天守群はド迫力!

順路に従って移動。1枚目はトの櫓、2枚目は振り返って撮影した備前門。

石垣を右手に見ながら進み、このりの門をくぐれば上山里曲輪です。

上山里曲輪

備前丸石垣と大天守。どこから見上げても絵になりますね!

上山里曲輪西側にはリの一渡櫓があり、歴代鯱レプリカなどが展示されています。

ぬの門と石垣

そして、上山里曲輪の出口であるぬの門へ。この辺りから見る天守も素晴らしい。

しかし、ぬの門を抜ければさらなる絶景、曲線美の石垣「扇の勾配」が!

まだまだ未熟なようで、建物内部の写真はブレてるものが結構ありました…
次回後編は、西の丸やライトアップ、門跡などをご紹介してゆきます。

 

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姫路城へのアクセス

電車で行く:JR「姫路駅」より北へ徒歩約20分。
車 で行く:山陽自動車道「姫路東IC」より南西方向へ約15分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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