愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2023.03.12
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
第十回は、於大の方の訪問から徳川家康の側室選びという展開。
側室を置くという仕組み自体、現代に生きる我々からするとイメージしづらいところで、
戦国時代と現代との違いというものをあらためて感じた回でした。
今回の史跡は、既にふれた三河三ヶ寺(本證寺・勝鬘寺・上宮寺)以外の、
『どうする家康』に出なかった三河一向一揆ゆかりの地をご紹介したいと思います。
まずは、蓮如上人による創建、三河での拠点となった本宗寺(ほんしゅうじ)から。
・本宗寺 「山門」と「五本筋塀」、写真右端に見えるのは長屋門です
・本宗寺 「本堂」と境内にある大松
もともと本宗寺は土呂という土地にありましたが、1611年に現在地へ
・本宗寺 本堂の南側には、「石川数正の墓」が
於大の姉であり、三河における一向宗再興に尽力した「妙春尼(妙西尼)の墓」もあります
ドラマ内でも三河三ヶ寺という言葉が使われていましたが、
実はより広いくくりとして浄妙寺、慈光寺、願照寺、無量寿寺を加えた
三河三ヶ寺ならぬ「三河七ヶ寺」というものがあります。
この層の厚さからも、当時の三河における一向宗がいかに強大だったのか伺い知れますね。
・浄妙寺 「山門」と「本堂」、格式の高い「五本筋塀」と土塀
・慈光寺 「山門」と隅櫓のような「鼓楼」、1671年建立の「本堂」
・願照寺 2023年3月現在改修中の「山門」、親鸞聖人像と「本堂」
・無量寿寺 「山門」と「本堂」、ここにも「鼓楼」があります
最後は、一揆勢に敗れ逃走中の徳川家康が訪れたという「山中八幡宮」。
逃げてきた徳川家康は洞窟の中に隠れますが、追手が迫り大ピンチに。
しかし、洞窟内から鳩が飛び立ったため「人がいる場所から鳩が出てくるわけがない」
と追手はここを捜索せず通過、徳川家康は難を逃れた…というお話が残っているそうな。
・山中八幡宮 入口である「一の鳥居」と、階段を登った先にある「本殿」
徳川家康は初陣の時にここで先勝祈願をしたそうです
・山中八幡宮 これが伝説の洞窟、その逸話から「鳩ヶ窟(はとがくつ)」と呼ばれております
次回は徳川家康と武田信玄が対面、その後駿河侵攻開始という流れ。
年代的に改姓の話も出てくるはずなので、いよいよ「徳川家康」も誕生ですね。
追い詰められていく今川氏真、引間城を守るお田鶴の方の奮闘…
今川氏真ファンにとって来週と再来週はつらい展開となりそうです。
本宗寺
場所:愛知県岡崎市美合町平地50
浄妙寺
場所:愛知県岡崎市中之郷町寺畔10
慈光寺
場所:愛知県岡崎市下青野町柳原10
願照寺
場所:愛知県岡崎市舳越町本郷32
無量寿寺
場所:愛知県西尾市平坂町奥背戸31
山中八幡宮
場所:愛知県岡崎市舞木町宮下8
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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