愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2023.02.26
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
第八回は、一向宗を敵に回した徳川家康が終始翻弄される回でしたね。
バラバラになる徳川家、吉良家による離間策、空誓の軍師となったあの人…。
さらには、徳川家康自身も銃弾を受けるなど、危機はまだまだ続きそうです。
榊原康政が「罰は自分が引き受ける!」といったエピソードが入るなど、
戦国ファンが思わずニヤッとしてしまうような演出もありました。
今回の史跡は、本證寺とともに三河三ヶ寺として数えられた上宮寺と勝鬘寺。
徳川家康の家臣がお寺に押し入り強引に兵糧を徴収する、
というシーンがありましたが、その舞台が上宮寺だといわれております。
<三河一向一揆に関連の記事はこちら>
上宮寺・勝鬘寺とともに三河三ヶ寺と数えられた「本證寺」の記事はこちら
・上宮寺 1996年に再建された現代風の「本堂」
・上宮寺 「境内」には、上宮寺の歴史を紡ぐ案内板などが盛りだくさん
案内板には、惜しくも焼失してしまった旧本堂の姿も
・上宮寺 入口の石碑には、「聖徳太子御創建」と彫られております
・上宮寺 駐車場の近くにある「妙春尼(みょうしゅんに)の墓」
三河一向一揆後、三河における本願寺の再興に尽力した方です
三河三ヶ寺の最後を飾るのは勝鬘寺(しょうまんじ)。
勝鬘寺には蜂谷貞次が入り奮闘したそうですが、同じく徳川家から一向宗側についた渡辺守綱や、
上宮寺を守った矢田作十郎たちは仲が良かったという話もあるとか。
ドラマ内で一向宗の寺を「いずれの城も塀高く堀深い」と報告するシーンがあり、
往時の三河三ヶ寺は城や砦のような威容を誇っていたことがうかがえますね。
・勝鬘寺 「入口」付近、駐車場は向かって左側にあります
往時は堀だった…かもしれない道路にかかる歩道橋から
・勝鬘寺 1734年、屋根を瓦葺に改め再建された「本堂」
本堂前の石碑、こちらには「三河一向一揆戦陣跡」と彫られております
・勝鬘寺 2021年に修復を終えた「鐘楼堂」
次回は、岡崎城の主として、そしてこれから三河を統べる者として、
重い「どうする」の問いに徳川家康が向き合う回となりそうですね。
徳川家康だけでなく、徳川家の家臣たち、一向宗側に回った徳川家の家臣たち、
そして空誓や一向宗の信徒たち、それぞれの「どうする」にも注目です。
上宮寺
場所:愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木34
勝鬘寺
場所:愛知県岡崎市針崎町朱印地3−3
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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