続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2016.12.06
5年前、2011年のNHK大河ドラマで一躍話題になった姫「江」は、徳川家康の息子「徳川秀忠」の正室です。徳川将軍の妻たちの中では唯一国母となった姫ですね。
江は12歳で初めて嫁ぎ、徳川秀忠の正室となったときは、三回目の結婚だったこと、徳川秀忠よりも年上だったことなどから、ずいぶんと強い妻だったといわれることが多いのです。
そんな江ですが、私はとても江が好きです。大河ドラマの影響は否めませんが、それがきっかけで江については随分と調べてみましが、私の妄想の中で江はやはり「よい妻」「よい夫婦」のイメージは変わりませんでした。
江が「よい妻」というよりは、徳川秀忠が女性から見ると素敵な夫なのかもしれません。もちろん、好みがありますので、あくまでも個人的なイメージです。
ペコ&りゅうちぇる?
どこが? と思われますよね。徳川秀忠といえば、関ヶ原での戦いのダメさがいつも引き合いに出されてしまうようにちょっぴり情けないイメージがあるようですので。
そう思われる方々にぜひ参考にしていただきたい例があります。それが「松本伊代&ヒロミ夫婦」「ペコ&りゅうちぇる」なのです。もちろん、最初にお伝えしたいのは二人の男性が情けなく見えるということではありません。伊代ちゃんとヒロミさん夫妻の仲良しぶりは多くの人から好感が持たれていますし、ペコ&りゅうちぇるも年代を問わずに人気がありますよね。女性はこのカップルを見ているととても幸せ感を感じるものなのです。男性のみなさん、なぜかわかりますか? それは女性が男性に大切にされていると感じるからです。不安感がないのです。
徳川秀忠は戦いでは多くの功績は残せませんでしたが、子宝に恵まれ、将軍家の安泰の元を築きました。妻は他の将軍に比べて圧倒的に少ないですよね。(ほぼ江一人と言えます)。徳川の子孫を絶やさないためにといっても、多くの妻を持たなくてもいいのですから、徳川秀忠は別の意味で素晴らしい功績を残したということができます。
多くの妻を持つ時代に自分だけに向き合ってくれた夫、徳川秀忠に対し、江は夫のための祈願を欠かさなかったといいます。関ヶ原の戦いの前にはもちろん、自分が祈願に行けないときにも、代わりに行ってもらっていたほどだといいます。その行為は素直に夫に対する愛情だと私は受け止めたいと思うのですが、いかがでしょうか。
そんな祈願場所のひとつがこちらの芝大神宮です。
芝大神宮は伊勢神宮の天照大御神と豊受大神が主祭神です。御鎮座はとても古くて平安時代の由緒正しき神社です。
境内には庶民が競ったという力石もあります。
江が自身で祈願に行けない理由があったため、我が子徳川家光の乳母、春日局に代わりに祈願に行ってもらったといいます。
そのときから、現在にまであるのが、このお守り「千木箪(ちぎばこ)」です。女性のためのお守りで女性が幸福に、そしてたくさんの千着(千木)を持てるくらい豊かになるようにというお守りです。
ふたり寄り添いながら増上寺に
そういえば、徳川家の菩提寺のひとつである増上寺はこの芝大神宮のすぐ隣にあります。
この増上寺に徳川秀忠のりっぱなご霊廟が建てられました。当時木造だったご霊廟残念ながら焼けてしまいましたが、その後徳川秀忠は江と一緒に二人でひとつのご霊廟に祀られました。
この二人だけ一緒のご霊廟なのです。こんなことからも運命的な仲よしさがうかがえるエピソードもあります。
芝大神宮。江戸時代は、江だけではなく徳川幕府の篤い保護を受けていたこともあり、庶民にも関東のお伊勢さまと親しまれていたということです。
芝大神宮、創建前は生姜畑だったとか。社務所で生姜が販売されていました。
東京都港区芝大門1-12-7
都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅下車1分
拝観料 無料
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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