100名城を巡る「金山城」
2024.09.28
2017.02.13
徳川家康が1603年に征夷大将軍になったその年にできたといわれている「日本橋」。
こんなに近くに住んでいながら、実は初めて行ってみました。
「日本橋」はその当時長さ68m、幅7mの木でできた橋だったようです。
平川という川の延長にかけられ、江戸城と江戸湾を結ぶために作られた橋で、
ここ「日本橋」が江戸時代からの東海道の「起点」です。
ここから人やもの、そしてお金が流れていったのですね。
織田信秀の家臣である斉藤徳元が関ヶ原の戦いで敗れ、浪人になった後、
俳諧師となってから詠んだ句だそうです。
この橋が架かってから2、30年後のことなのだとか。
ここにも霊獣
日本橋の真ん中にいる霊獣をみてください。
徳川家康って霊獣好きですよね?
徳川家康にゆかりのある神社に行くと本当によく見つけることができます「霊獣」。
おとなになってから行った「日光東照宮」で「霊獣」たちをみて感動して以来、
横浜中華街に行っても「霊獣」をみつけ喜び、
ポケモンの鳳凰に感動し、
神社の門に施されている登り龍に目を輝かせてきた私ですが、
最近随分と冷静に「霊獣」を発見するようになりました。
けれど、残念ながらこの「霊獣」たちは徳川家康の命によるものではありません。
日本橋の中央にいるのが「麒麟」
そして親柱の下にいるのが「獅子」
現在の「日本橋」が完成したのは1911年。
明治44年ですから最近のものになります。それまでも一度架け替えがありました。
徳川家康がここに橋を架けさせた当初は木造でしたので、耐久性の問題から現在の石造りに変更したのだそうです。
この「麒麟」と「獅子」をデザインしたのは、建築家の妻木頼黄という方。
青銅を使って西洋的なデザインを取り入れながらも、松や榎木も取り入れ、
和洋折衷のデザインを作り上げたということです。
ちなみにデザインは妻木さんですが、製作は渡辺長男さんが、鋳造には岡崎雪聲さんが担当したそうです。
この「麒麟」が印象的なのは翼があること。
「霊獣」は空想の生き物なので参考になる手本がないため、妻木さんは随分と頭を悩ませたようです。
日本橋から、翼を羽ばたかせて飛んでいくというイメージを持って「麒麟」に翼をつけたのだそうですよ。
近代的でモダンな「日本橋」。
日本の発展を見透かしていたかのように感じる素敵な橋です。
そうそう。
江戸時代といえば、時代劇。
時代劇といえば悪者商人の越後屋。
その「越後屋」は今では「日本橋三越」に変わっています。
東京メトロ銀座線 日本橋駅下車
東京メトロ東西線 日本橋駅下車
都営地下鉄浅草線 日本橋駅下車
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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