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築地本願寺を初めて目にすると、その近代的な鉄筋コンクリートの建物に
誰もが驚くのではないでしょうか。
私もそのひとりです。
そして私は、日本のお寺のような気がしないというのが、正直な第一印象でした。
築地本願寺に私がなんとなく感じる違和感。
けれど、どこかでみたことがある感覚。
しばらく考えて思いついたのがインドの「タージマハル」でした。
とても似ている!
「タージマハル」は世界一、美しいといわれている霊廟、世界遺産です。
「タージマハル」を想像した私でしたが、築地本願寺のことを調べて、
なぜそう思ったのか納得できました。
現在の築地本願寺の建物は、古代インド仏教様式が取り入れられたお寺でした。
古代インド仏教様式
正式名称は「築地本願寺」です。
創建は1617年で、この時は京都の本願寺の「築地別院」として建立されました。
2012年に直轄寺院として「築地本願寺」という正式名称に改められています。
築地本願寺が現在のようなデザインになったのは、昭和に入ってからの1934年のことです。
東京は、空襲や関東大震災という大きな災害にあったため、
その後の復興で建築家伊東忠太氏が新しい建物の建築に当たりました。
新しい築地本願寺は、地震や火災に強く、そして新しい仏教建築という考えのもと、
鉄筋コンクリートや花崗岩を用いた古代インド仏教様式が取り入れたということです。
1590年、豊臣秀吉は小田原攻めの陣中で、徳川家康に、
「関八州を、やろう!」
といいました。
家康を大阪城から遠い場所への国替えを提案したのです。
家康は、家臣たちの反対を他所にこれを受け入れました。
そして武州千代田に江戸城を構え、ここに住むこととすると家臣たちを驚かせました。
そのときから、江戸は整備されました。
この築地本願寺は、当時京都の本願寺の別院でしたが、
場所もここ築地にあったわけではありません。
1617年に創建された当初は、浅草の近く横山町というところにあり、
江戸浅草御堂として建立されました。
1657年、明暦の大火で御堂は焼失してしまいました。
この後の幕府の区画整備により、同じ場所への建立はできず、
移転先として八丁堀の海上を埋め立てようということになりました。
佃島の門徒はこれに協力し、地を築いたことから、その場所が「築地」と名づけられたということです。
伊東忠太氏の「動物集め」
そんな築地本願寺に行ったら、ぜひ「世界の動物意匠」探しをしてください。
青龍、朱雀、白虎、玄武のみならず、鳳凰、有翼の獅子、そしてグロテスクなどという珍獣もいます。
東京都中央区築地3-15-1
本堂拝観
4月~9月 6:00~17:30
10月~3月 6:00~17:00
拝観料 無料
東京メトロ日比谷線 築地下車出口1より徒歩1分
東京メトロ有楽町線 新富町下車出口4より徒歩5分
都営地下鉄浅草線 東銀座下車出口5より徒歩5分
都営地下鉄大江戸線 築地市場出口A1より徒歩5分
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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