続100名城を巡る「滝山城」
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2016.12.06
横浜に住む私にとって「銀座」といえば、東京都中央区の銀座。
ここは東京都の地名であり、またラグジュアリーな雰囲気が漂う場所の代名詞でもある場所です。
この銀座のメインストリートはこの季節、週末は昼過ぎから歩行者天国になり、
いつもよりいっそう賑やかでそして華やかな街に変身します。
海外のブランド店も多く並んでいますが、ひときわ目を引くのが「ティファニー」。
このティファニーのお店の前に「銀座発祥の地」という碑がたっていました。
行きかう人々は全くこの「碑」に目を留めていません。まあ、そんなものですよね。
この東京都中央区の銀座は、確かに銀座発祥の地であることは確かです。
けれど銀座って各地にありますよね。600以上あるそうです。
栄えている場所、栄えて欲しい場所に「銀座」と命名することは多いような気がします。
銀座はそれくらい「繁盛」のシンボルなのかもしれません。
大阪から銀
「ものの始まりはみな堺」というのを聞いたことがあると思いますが「銀」もやはり「堺」から始まっています。
大阪に目をつけたのは織田信長。そしてそれを受け継いだのが豊臣秀吉ですよね。
これは秀吉が石見銀山などで採れた銀をここに集めて、ヨーロッパ各地と貿易をしようと考えたからです。
当時日本の銀産出は世界でもトップクラスにありました。
しかし大阪城をつくるために・・・
けれど豊臣秀吉は大阪城築城のために、銀などで栄えていた堺の商人たちを別の場所へ移動させたことにより、堺の銀商人たちは結果的には、徳川家康によって江戸で商いをすることになりました。
1601年、徳川家康はまず京都伏見に銀貨鋳造所をつくりました。
1606年には駿府城築城とともに駿府に銀貨鋳造所をつくり、伏見鋳造所は京都の両替町(現在の)に移されました。
そして1612年に政権が江戸城で確立されるようになると、家康は駿府にあった鋳造所を江戸に移し、
幕府の御用達鋳造所として、銀の流通をここで掌握できるようにしたのです。
東京都中央区銀座。
そしてこれからもきっと繁栄していく街なのでしょう。
家康は空の上から「私のおかげ」と笑っているかもしれません。
東京銀座へは、JR有楽町駅から徒歩の他、東京メトロ銀座線、日比谷線、丸の内線それぞれ「銀座」を利用できます。
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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