武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年8月13日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:小倉城

2021.08.13

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

細川氏ゆかりの復興天守「小倉城」

別名:勝山城、指月城など。福岡県北九州市にある輪郭式平城。
1602年、細川忠興による本格的な築城が開始される。1959年に天守が再建。
資料にはない破風が追加されているため、復興天守に分類される。

虎ノ門口と大手先門跡

小倉城周辺は、現在勝山公園として整備されております。
まずは小倉城庭園のある北東方面、虎ノ門口から入ってゆきましょう。

こちらは、現在北九州市役所があるあたりにある大手先門跡。

天守

大手先門跡の向かいには、お目当ての模擬天守が。
天守と野面積みの石垣と堀が一挙に見られる、鉄板の構図。

大手門跡

天守を見ながら南へ進むと、本丸へ続く大手門跡がお目見え。
細川氏から小笠原氏の時代になってから、ここが大手になったそうな。

槻門跡

大手門跡を通過すると左手にあるのが、この槻門(けやきもん)跡。
藩主や家老など、限られたものだけが通行できる門だったそうです。

松の丸

こちらは本丸の南側にある松の丸。特徴的な建築物は、海難事故防止のために
生涯を捧げたという岩松翁が建てた白洲灯台を模したもの。

鉄門跡

お次は槻門跡の西側にある、武士が通行していたという鉄門跡。
向かって左側の石垣と階段が往時のものであり、右側は復元されたものです。

西の口門

鉄門跡から西に進めば、かつては大手だった西の口門跡が。

1枚目が松本清張記念館のある南側の石垣、2枚目が北側の石垣。

本丸

再び鉄門跡に戻って階段を登り、天守のある本丸方面へ。
このレンガ造りの門跡は、旧第十二師団司令部正門のなごりとのこと。

多門口門跡

続いて本丸を北へ進み、多門口門跡へ向かいましょう。
本丸と北の丸をつなぐこの門跡付近は、石垣も空堀も必見です。

北口門

八坂神社のある北の丸から東へ行くとあるのが北口門。

道中右手に見える本丸石垣も、なかなか見応えがあります。

今回からしばらく、復興天守シリーズをお送りしたいと思います。
次回は、長崎県にある天草四郎で有名なあのお城へ。

 

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小倉城へのアクセス

電車で行く:JR「西小倉駅」より南へ徒歩約10分。
車 で行く:北九州都市高速「大手町IC」より、北方面へ約3分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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