続100名城を巡る 久留米城
2024.10.14
2021.08.13
かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。
別名:勝山城、指月城など。福岡県北九州市にある輪郭式平城。
1602年、細川忠興による本格的な築城が開始される。1959年に天守が再建。
資料にはない破風が追加されているため、復興天守に分類される。
小倉城周辺は、現在勝山公園として整備されております。
まずは小倉城庭園のある北東方面、虎ノ門口から入ってゆきましょう。
こちらは、現在北九州市役所があるあたりにある大手先門跡。
大手先門跡の向かいには、お目当ての模擬天守が。
天守と野面積みの石垣と堀が一挙に見られる、鉄板の構図。
天守を見ながら南へ進むと、本丸へ続く大手門跡がお目見え。
細川氏から小笠原氏の時代になってから、ここが大手になったそうな。
大手門跡を通過すると左手にあるのが、この槻門(けやきもん)跡。
藩主や家老など、限られたものだけが通行できる門だったそうです。
こちらは本丸の南側にある松の丸。特徴的な建築物は、海難事故防止のために
生涯を捧げたという岩松翁が建てた白洲灯台を模したもの。
お次は槻門跡の西側にある、武士が通行していたという鉄門跡。
向かって左側の石垣と階段が往時のものであり、右側は復元されたものです。
鉄門跡から西に進めば、かつては大手だった西の口門跡が。
1枚目が松本清張記念館のある南側の石垣、2枚目が北側の石垣。
再び鉄門跡に戻って階段を登り、天守のある本丸方面へ。
このレンガ造りの門跡は、旧第十二師団司令部正門のなごりとのこと。
続いて本丸を北へ進み、多門口門跡へ向かいましょう。
本丸と北の丸をつなぐこの門跡付近は、石垣も空堀も必見です。
八坂神社のある北の丸から東へ行くとあるのが北口門。
道中右手に見える本丸石垣も、なかなか見応えがあります。
今回からしばらく、復興天守シリーズをお送りしたいと思います。
次回は、長崎県にある天草四郎で有名なあのお城へ。
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電車で行く:JR「西小倉駅」より南へ徒歩約10分。
車 で行く:北九州都市高速「大手町IC」より、北方面へ約3分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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