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難攻不落の城 鎌倉の名城 「玉縄城」 その1

2018.09.25

秀吉の小田原攻めにも備えていた名城「玉縄城」

神奈川県にあった城といえば、真っ先に思い浮かぶのが「小田原城」。

この小田原城は1417年に大森頼春によって築城され、後北条氏、阿部氏、稲葉氏、

大久保氏らが城主として城を守り、1871年に廃城となった城です。

また、小田原城といえば、秀吉の小田原攻めは有名ですね。

この小田原城を奪取した北条早雲が築城した城、それが神奈川県鎌倉市にある玉縄城です。

 

「玉縄城」はなぜ築城された?

北条早雲は、1512年8月、荒廃した鎌倉と荒れ果てた鶴岡八幡宮の再建を願い祈願し、

こういった歌を詠みました。

「枯るる樹に また花の木を添えて もとの都に 成してこそみめ」

そして、同年10月に玉縄城を築城し、次男である北条氏時が城主となりました。

北条早雲は、当時、相模の国の最大勢力であった三浦義同の岡崎城を急襲して岡崎城を奪取しました。

岡崎城を奪われてしまった三浦義同は、息子である義意とともに住吉城に立て籠もりましたが、

これも落とされてしまい、次に新井城に逃れました。

北条早雲は、この新井城を落とすために三浦半島のふもとにある場所に玉縄城を築いたといわれています。

そして玉縄城から三浦義同・義意親子を攻め滅ぼすと、相模、三浦を制し、関東全域を支配したといわれています。

 

初めての戦国大名ともいわれる北条早雲

実は北条早雲という人物名は有名ですよね。

ですが、彼はまだ生きている間にこの名前を名乗ったことはありませんでした。

彼は生前、相模の国の領主であったとき「伊勢宗瑞(いせそうずい)」と名乗っており、

年貢なども軽くし、農民の負担が少なくなるよう取り計らっていたといいます。

この伊勢宗瑞が、のちに北条早雲となったのは、息子が関東の大名になったため、

息子の代から北条を名乗りだしたことによるものだったと言われています。

(玉縄ふるさと館 展示資料)

 

玉縄城の初代城主は北条氏時

けれど、氏時のことは、あまり史実としての記録がないようで詳しくわかっていないようで残念ですね。

早雲の二男で、長男である兄、北条氏綱を助けた大名ということで知られています。

また、二代城主は早雲の孫にあたる北条為昌、そして三代が北条綱成です。

 

【玉縄城へのアクセス】

JR横須賀線・東海道線・湘南新宿ライン・京浜東北線

大船駅下車 大船駅西口より徒歩20分

清泉女学院裏

※玉縄城址は、清泉女学院の敷地内にあります。敷地内には入ることができません。

 

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noriko

はじめまして。徳川秀忠とお江夫妻のファンnorikoです。 ライティングの仕事をさせていただいています。 読んでくださった方が、当時に想いを馳せることができるような、そんなコラムを書いていきたいと思っています。

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