名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.04 大天守 其の四
2025.03.29
2025.03.17
一、なんらかのマークが付けられた石を「刻印」や「刻紋」、
もしくは人物の名が入っているものを「刻銘」と呼びますが、
この連載では主に「刻印」という呼び方で統一します。
一、名古屋城には膨大な数の「刻印」があり、
確認されているだけで2000以上もあるのだとか。
劣化により判別不明なものも多いため、本連載では
目視ではっきりわかるものを中心にご紹介してゆきます。
一、タブレットにて「刻印」を白や赤の線でなぞった加工画像もありますが、
フリーハンドゆえのゆがみや想像で線を補ったものもあるため、
あくまでイメージとしてお楽しみください。
同シリーズ記事はこちら▼
名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.00 はじめに
名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.01 大天守 其の一
名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.02 大天守 其の二
前回に引き続き、大天守台の東壁の「刻印」探し。
通路を通って不明門のあるエリアから見学しましょう。
通路へ行く前に、望遠で写真の赤枠あたりをチェック。
不明門の桝形からは見づらい位置に、
くっきりとした「軍配団扇」と
「わた」という文字に加え「中輪にくつわ」を刻んだ石が。
「わた」は橋台にあったものと同じく、
加藤清正家臣である「和田」の名だといわれております。
移動し、今回のメインである大天守台東側の中側へ。
ここは上と下に「刻印」がわかれており、
まずは上側から見てゆきましょう。
上側にある主な「刻印」はこちら。
まずは写真左の①から。
「明かり取り窓」の真下には、車輪を半分にした「生駒車」、
二つ下に「丸に五の崩し字」のようなもの、右に不完全な「矢筈」があります。
続いて②、こちらには右から「矢筈」、「三」、不完全な「丸に丁」とあり、
一番左には「米」という文字が刻まれた石が。
「分限帳」に米村という家臣の名があり、
この人物の頭文字ではないかとみられているのだとか。
③には肉眼でわかる「鳥居」が二つある他、
右側にも欠けている「丸」の刻印と「違い輪」があり。
④には「蕨(わらび)」と四角の「釘抜き」があります。
続いて下側、目線と同じもしくは下に位置するあたりをチェック。
⑤は、かつてのエレベーター入口あたり。下から、
・大きな石に小さな「丸に十」、
・和田の刻印と思われる「中輪にくつわ」
・南条の刻印である「木槌」
比較的わかりやすい以上の3つがあります。
隣の⑥、こちらには「鳥居」「丸に六星」「抜き簾」。
「鳥居」はともかく、他二つの刻印はくっきり。
さらに隣の⑦はかなり見づらく、難易度高めの箇所。
「刻印」見学に慣れてくるとこのようなものも見えてきますが、
はつりや割れたところなども怪しく見えてくるのが悩みどころ
右には家臣の小代下総守のものであることを示す
「小代」と「亀甲に四つ目」刻印が入った石、
左には同じく家臣である小野の「軍配団扇」が刻まれております。
陽が当たっていないとさらに難易度が上がり、
私も何回か見た後、ようやくこの「刻印」に気付きました。
ここまで、大天守台に近い位置から見てきましたが、
お客様通路の近くまで移動し、少し遠目から見上げましょう。
個人的に、今回ご紹介する範囲内で一番好きな刻印があるのが⑧。
加藤清正家臣である南条元宅(もといえ)の名入りである
「南条」の文字と「木槌」刻印がある石が良く見えますね。
南条元宅が用意した石であったことをあらわす「南条」、
もしくは「南条」と「木槌」がセットになった刻印は多く、
見慣れてくると結構見つけることができます。
他にも隣接して「木槌」のみ、その下には「三」の刻印も。
⑨の位置になると、背伸びして見えるかどうか。
左上の「矢筈」、隣の「丸に一つ鱗」までは見られても、
その下の不完全な「矢筈」、今回一番初めに望遠でご紹介した
「軍配団扇」あたりは下からだと厳しめです。
ここからは、大天守台から少し寄り道。
かつてのエレベーター入口付近にあるこの石たちにも「刻印」があり、
立てられた中央の石上部には、見事な矢穴と「矢筈」刻印が。
下にある石にも写真のような刻印が入っておりますが、
これらは加藤清正の家臣たちが用いた刻印ではないようです。
不明門の手前右手に広がる桝形内石垣にも「刻印」はちらほら。
特に赤く塗ったあたりにあるのが、くっきりとした「井桁」三つ、
右下にはおそらく「二つ串団子」と思われる刻印が。
ここの普請を担当したのは福島正則であり、
福島正則が石を切り出したといわれる愛知県蒲郡市西浦にも
「井桁」刻印がある矢穴石が残っております。
今まで晴れた日を狙って「刻印」探しに行っておりましたが、
先日雨天に行ってみたところ、濡れた石の方が見やすい刻印もある
ということに遅ればせながら気がつきました。
刻印の彫りの深さによって陽の当たる角度、
石質により晴れか雨かで見やすいか否かが変わるので、
まだまだ通って色々と検証せねばなりません。
次回は、大天守台東壁の向かって右側あたりをご紹介。
大天守台東壁エリアがようやく終了…するはず。
愛知県蒲郡市西浦の石丁場にある、「井桁」刻印入り矢穴石
名古屋城
場所:愛知県名古屋市中区本丸1−1
電車でのアクセス:地下鉄名城線「名古屋城駅」下車後徒歩約5分
車等でのアクセス:名古屋高速都心環状線「丸の内IC」から北方向へ約5分
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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