続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2025.09.10
多くの側室と子どもを持つ徳川家康。
その中には、戦国という時代に翻弄され、家康の子孫でありながら不遇だった人物もいました。
今回は、家康の孫にあたる「松平直基(まつだいらなおもと)」についてご紹介をしていきます。
松平直基の父は結城秀康。
結城秀康は徳川家康の次男でしたが、小牧・長久手の戦いで、家康と秀吉の和睦の条件とされ、豊臣秀吉の養子となりました。
家康の子、そして秀吉の子となった羽柴秀康でしたが、名乗ってほどなく、秀吉に実子の鶴松が誕生したため、結城晴朝のもとに養子に出されてしまいました。
秀吉は、鶴松をわずか生後4ヶ月で豊臣家の後継者として指名したからです。
結城となった秀康は、関ヶ原の戦いの前哨戦である会津征伐において、宇都宮で上杉景勝の抑えの役を担いました。
秀康は、功績をあげたとき、徳川を名乗ることはできませんでしたが、武将としての活躍は、家康に認められるほどだったそうです。
この結城秀康の子が「松平直基」です。
直基は、1626年8月、従四位下(大和守)となったことをきっかけに、結城を改めて松平を名乗りました。
このことにより、結城を継承する大名はいなくなってしまいました。
直基は、越前勝山藩主から、大野藩(福井県)、山形藩(山形県)、姫路藩(兵庫県)へと移りましたが、姫路城に移って間もなく病になってしまい、江戸で亡くなったそうです。
そして奉られたのが大雄山最乗寺です。
松平直基のお墓は将棋の駒形をした安山岩でできています。
正面の文字は消えかけていてみえにくいのですが、「捐館仏性院殿鋨関了無大居士神儀」と刻まれています。
神奈川県南足柄市にある大雄山最乗寺は、曹洞宗のお寺です。
松平直基の墓所が大雄山最乗寺となったのは、徳川将軍家と大雄山最乗寺との関係が深かったこと、直基自身が大雄山最乗寺に対する信仰が深かったことに由来すると看板に記されていました。
結城家が帰依していたのが曹洞宗であったからでしょうか。
大雄山最乗寺の面積は、128ヘクタールで東京ドーム27個分。
境内の中には、建物が44棟、門も仁王門、三門、瑠璃門、碧落門、結界門、奥の院参道石段入口と六門もあるとても大きなお寺です。
そして何より、松平直基の墓所がある大雄山最乗寺は、摩訶不思議な天狗伝説のある強いパワースポットでもあるのです。
神奈川県南足柄市大雄町1157
JR小田原駅下車大雄山線大雄山駅下車
大雄山駅からバス道了尊下車
【拝観料】
無料
【受付時間】
総受付6:00~16:00
お守り売り場 9:00~16:00
※行事などにより前後する場合あり
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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