姫たちの武将愛vol.9~徳川家康が晩年愛したお六殿とは?
2022.07.25
徳川家康が好んだ鷹狩りゆかりの地は、あちらこちらにありますよね。
でも横浜市栄区にも徳川家康の鷹狩りゆかりの地があるのは、あまり知られていないようです。
大都市横浜は今でも、みなとみらい地区などから離れると、緑豊かな場所がたくさん残っています。
そのため江戸時代は今よりも豊かな森にたたえられた地であったことは容易に想像できるのです。
そんな横浜とゆかりのあるお六殿とは、いったいどんな女性だったのでしょうか。
晩年の徳川家康が愛した「狩殿・佐渡殿・お六殿」
「狩殿・佐渡殿・お六殿」という言葉を聞いたことがありますか?
これは、徳川家康が晩年愛した三つなのだそうです。
狩殿は鷹狩りのこと、佐渡殿は徳川家康の重臣であった本多佐渡正信のこと、
そしてお六殿が徳川家康最後の側室である「お六」のことなのです。
徳川家康の鷹狩りといえば、超有名ですよね。
いろいろなところに出かけては鷹狩りをしています。横浜市には18区がありますが、その中のひとつである栄区は、
徳川家康の鷹狩り場のひとつ。今でもとても緑の多いところです。
この栄区は、江戸時代、今よりも木々が多く、緑というよりは森、とても豊かで深い森であったといいます。
もちろん、そういった場所ですから、鷹狩りにはピッタリだったのでしょう。
徳川家康は晩年、幾度か、この横浜市栄区に鷹狩りに出かけていたようです。
徳川家康と鷹の逸話
横浜市栄区には、光長寺というお寺があります。
このお寺には、「花立薬師」という薬師如来像が祀られています。
残念ながら一般には公開されていませんが、この薬師様にまつわる逸話が徳川家康と関係があるのです。
それは、このようなお話です。
「あるとき、徳川家康が鷹狩り(横浜市栄区あたりの森林)に出かけました。せっかくの鷹狩りですが、鷹が全くみつかりません。
そこで、徳川家康は近くにあった薬師如来を拝むと、鷹がやってきて、徳川家康の腕にとまったのです。
とても喜んだ徳川家康は、願いをかなえてくれたお礼に、足元に咲いていた花を摘み、薬師如来に供えました。」
このことから、この薬師如来は「花立薬師」と呼ばれるようになり、葵のご紋を許され、厨子にもつようになったそうです。
「お六殿」の位牌が安置されている光長寺
その「花立薬師」がある光長寺に、位牌が安置されておるのがお六殿。
徳川家康の没後、仏門に入ったお六殿がこの寺で「養儼院(ようげんいん)」として過ごしました。
お六殿は、尼として穏やかに過ごしていましたが、徳川家康が祀られている日光東照宮を参拝したとき、その社の前で息を引き取ったといいます。
なんだか切ないお話です。
光長寺へのアクセス
横浜市栄区飯島町779
JR本郷台駅下車 飯島団地行きバス 小学校前下車すぐ
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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