武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2018年6月21日記事のため内容が古い可能性があります。

父は秀忠に進言したことのある家臣。大垣藩主戸田家廟所のある「円通寺」

2018.06.21

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円通寺は大垣藩主・戸田家の菩提寺であるお寺。
寛永12年(1635年)初代大垣藩主の戸田氏鉄が尼崎から大垣へ転封となった時に、尼崎から伽羅などを移築して建立したお寺です。

戸田家廟所は、岐阜県の文化財に指定されています。

戸田家の転封から大垣藩の発展

戸田氏鉄はもともとは三河国二連木生まれで、徳川家康に仕えていました。
加増。今でもそれをたたえて「10万石まつり」が開催されています。

関ケ原合戦で父が戦死すると、家督をついで膳所藩主になりますが、5万石に加増して尼崎へ、さらに大垣転封時には10万石に4大将軍の誕生時にへその緒を切る役目を行う、治水工事を成功せる、島原の乱で武功をたてるなど活躍してどんどん加増していったようです。

この円通寺は代々戸田家から寺領として土地が寄進されていて、4代目の時には寺領200万石という大きさにまで増えています。
戸田家の菩提寺としてお寺は栄えたようです。

しかし大垣は空襲があった場所。本堂などは消失しましたが、山門だけは空襲を逃れ、今は市の重要文化財となっています。

空襲により初代の氏鉄・二代目の氏信・7代目の氏教の墓石などが破損してしまいます。
大垣市市政45周年事業で復旧されましたが、駒込の蓮光寺に収められていた9代氏正、11代氏共の墓も分骨されることで、歴代藩主のお墓がお寺に揃うことになります。

大垣藩の藩政の安定は戸田氏の功績ということで、大垣城公園には銅像が建っています。

ちなみに諸説ありますが、お父さんの一西は、関ケ原合戦のときに秀忠の上田城攻めに参戦。ここで戦うより関ケ原へ陣をすすめるようにと進言したと言われています。

関ケ原合戦に遅刻することになった秀忠は、家康からの大目玉を食らう羽目に。
その時に秀忠に進言したことを買われて、出世していったのかもしれません。

代々の子孫は大垣の常葉神社にて祭神としてお祭りされています。
この神社も大垣公園内にあるので、セットで見に行ってみるのもおすすめです。

円通寺へのアクセス

住所:大垣市西外側町1-32-1
TEL:0584-78-7438

大垣駅より徒歩13分

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北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

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