愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2017.03.10
3月25日から5月7日まで行われる名古屋城「春の陣」が始まります。
内容はものすごく豪華で、読んでいるだけでもワクワクするようなイベントがたくさんでています。
歴史好きにおすすめしたいのは、不定期に行われる櫓の公開が2つも期間中行われることです。
東南隅櫓、西北隅櫓の両方が見られるチャンスです!
(お出かけ前に名古屋城のホームページにてご確認ください)
春の陣、素敵すぎ(個人的に)。
<名古屋城に特化した”名古屋城愛ページ”>名古屋城の情報などはこちらをクリック
櫓の公開は不定期である上、たった数日なのでタイミングが合わないとなかなか行けません。
東南隅櫓は表二之門のすぐ近くの櫓で、目の前は二の丸広場になっています。
文化財ナビ愛知によると、以下のように解説されています。
唐破風を下層ではなく上層屋根の東面に付ける点が意匠上の相違となっている。半解体修理の際に発見された墨書により、宝永7年(1710)に修理がなされ瓦の葺替も行われたらしい。なお屋根大棟の鯱は明治43(1910)年に東京城(江戸城)から移したものとされる。
唐破風の位置は意匠上と違うようですが、屋根のシャチは江戸城からのものなんですね。
そして現在は発掘調査のため入れない御深井丸エリアにある、水堀を守っている櫓は、ゴールデンウィーク中の公開です。
同じく、文化財ナビ愛知より引用します。
この櫓は清州城から移築したと言われていますが、解説でも転用材の使用が確認でき、「全く否定する話ではない」と書いてありますね。
熊本城の宇土櫓に次ぐ規模の建築として貴重というのも、いいですね。
ひっそりとしたところにある櫓なので、より中がどうなっているのか見てみたいです。
御深井丸(おふけまる)の西北隅に建つ外観3重、内部3階建、塗籠造、本瓦葺の櫓で、清洲櫓とも呼ばれている。初層の屋根には、北面と西面に入母屋破風を付けて破風軒下に石落を設け、東面と南面には千鳥破風(ちどりはふ)を付ける。解体修理の結果、柱を中心に転用材が多く認められた。高欄を伴う櫓状の建築の部材を再用したものらしく、清洲城の小天守を移築したものとの伝承も、否定すべきものではないことが明らかとなった。解体修理の際に発見された墨書により、本丸からはやや遅れて元和5年(1619)の完成と判明した。三重櫓の中でも熊本城宇土櫓(うとやぐら)(国重文)に次ぐ規模の建築として貴重である。
こちらも見逃せない特別公開です。
普段は使用者しか使えない茶室ですが、この期間だけは一般公開されます。
この茶室は庭園自体も文化財にあふれていて、見ているだけでうっとりする場所です。
庭石に使わなかった石垣を利用しているので刻文があったり、手水鉢が橘寺の礎石だったり、普通に置いていて大丈夫なのかなと心配になるようなものがたくさん。
猿面茶室は、豊臣秀吉がサルといあだ名になった由来の柱があります。
柱の節がサルの顔に似ていることから、織田信長が「お前(豊臣秀吉)の顔のようだ」といったというエピソードの柱もチェックしてください。
そしてこの場所は時間を忘れてしまうような、非日常を味わえる庭園です。
おすすめは書院の縁側。
ボーッとするだけでも幸せな気持ちになれます。
<名古屋城に特化した”名古屋城愛ページ”>名古屋城の情報などはこちらをクリック
<地下鉄>
名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分
鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分
<市バス>
栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」
なごや観光ルートバス「メーグル」
基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分
<名鉄>
瀬戸線 「東大手」 下車 徒歩15分
名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
愛知県の記事
織田信長の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています