どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2017.06.05
関ヶ原の史跡巡りで困るのは、場所がわかりにくいこと。
なんと最近はとっても立派な看板が史跡に追加されています!
案内サインも非常にわかりやすく、見て感激しました。
初めての方でも史跡めぐりがしやすくなったのではないかと思います。
せっかくなのでほとんど東軍の陣跡は巡ったことがないので、看板を頼りに巡ってみることにしました。
まずは徳川家康が最初に陣を構えた桃配山。
徳川家康最初陣地跡としての石碑。
登る前にはこの新しい看板。
史跡の説明もしっかり掲載されています!
お次は民家の裏手にある本多忠勝の陣跡。
もともとは小さな石碑で場所を記していましたが
上には新しい方向を指す看板が。
こちらが本多忠勝の陣跡の石碑。
民家の裏手なので騒がず、静かに見学したいですね。
ちゃんと説明文もあります。
ちなみに関が原の戦いの時の本多忠勝隊の軍勢は500とかなり少ない。
徳川四天王なのになぜ?と思いますが、実は徳川秀忠とともに上田城を攻めていて、そちらに多くの軍勢を割いていたからなのです。
この時の優先順位は初陣の秀忠と一緒に戦うことだったようです。
秀忠は9月9日に命令が来て、慌てて中山道経由で関が原に向かったものの川の氾濫などで行く手が阻まれ、関が原の戦いには間に合わなかったのは有名な話ですね。
さらに京極高知、藤堂高虎の陣跡は関が原中学校の敷地内にあり、かなりわかりにくいですがこちらも看板があるので、わかりやすい。
看板横の5台の駐車場は史跡巡りのお客さん用らしいです。
中学校に入るのは気が引けますが、こうした配慮はありがたいですね。
京極家、藤堂家の旗印が目印です。
さらに感動したのはこの電信柱にある看板。
こちらは福島正則の陣跡である春日神社付近にあったもの。
福島正則軍の家臣である可児才蔵の説明文です。
可児才蔵は関が原の戦いで一番首数を挙げたとして有名です。
自分のとった首だとわかるように、笹を加えさせたといわれていることから「笹の才蔵」とも。
こうして陣跡付近に関連武将の情報があるのは嬉しいですね。
見つけた時感動しました。
福島正則、大谷吉継も写真に収めました。
大谷吉継の近くには、彼の切腹の介助をした湯浅五助の解説もありました。
何度か来ていますが、関が原の史跡巡りが久々に楽しめました。
看板があるだけで、おもてなしの心を感じます。
初心者の方もかなり回りやすくなったと思いますので、ぜひ一度行ってみてください!
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
岐阜県の記事
徳川家康の記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています