100名城を巡る「金山城」
2024.09.28
2018.10.01
玉縄城は、残念なことに御殿や門、石垣といった城に関係する史跡は残っていません。
お城があったといわれる場所に行っても、玉縄城の遺構をみることはできないのです。
しかし、城下の雰囲気、城の壁面沿いの上り坂などを散策してみるとなかなかの地。
この場所に確かに玉縄城があったのだと感じる空気感があるのです。
徳川家康が、江戸に入国するきっかけともなった「小田原攻め」にゆかりのある玉縄城。
ぜひ皆さんに知っておいていただきたい場所です!
(玉縄ふるさと館資料より)
玉縄城は、天守が残されているわけでも、再建されているわけでもありません。
そのため、目指す建物が何もありません。
けれど、こんもりとした小さな山や緩やかな上り坂は、まさに城に向かう道そのもので、
途中にはゆかりのある小さな神社などもあるのです。
(大船駅前かみえる大船観音)
が、実は私は大船駅よりタクシーを利用して「玉縄城址」に向かいました。
理由は「猛暑」。この暑さの中で道に迷ったら大変!
それに、そうそう。観光地に行くと地元のタクシーの運転手さんは
いろいろな情報を教えてくれるもの!迷いなくタクシーで行く方法を選択しました。
タクシーの運転手さんによると、この玉縄城へのコースは迷うことはほとんどないし、
歩いて行く方が楽しめるので、「タクシーに乗る人はいないよ!」
とおっしゃっていました(汗)。
大船駅からしばらくいくと、左側に「高谷砦」という小さくてこんもりとした山がみえます。
(建物の奥の山)
「砦」とは、本城から少し離れた要所に築く小さな建物(城)のことですから、
きっとこの場所に当時、建築物があったのだと思います。
(これが当時の高谷砦の様子)
※玉縄ふるさと館資料より
(右下の位置が高谷砦。中央が玉縄城)
※玉縄ふるさと館資料より
確かにちょうど辺りが見渡せる見晴らしのよい丘という感じの山です。
この砦のふもとは、現在線路が走っていたり、
大船フラワーセンターという大きな県の施設の植物園があるので、
ここを左手に見ながら緩やかな坂をずっと上って行くと、
やがて右手に「龍宝寺(龍寶寺)」というお寺がみえてきます。
そして、お寺を通り越して、さらにまっすぐに行くと清泉女学院という学校の入り口があります。
清泉女学院は、この入り口から校門まで行くのに長い坂がありますが、
この校門までの道は、まるでその先に玉縄城があるかのように感じました。
ちなみに校門まで行くと守衛さんがいらして、そこから先に入ることはできません。
裏側には清泉女学院裏門があるそうで、ここが玉縄城の大手門にあたるということです。
また、散策コースはこの裏門へ続く道、七曲りという幾重にも曲がった坂道があり、上杉謙信もこの道からの登城をあきらめたという話があるのだとか。
清泉女学院の校門で、この辺りに玉縄城があったのだと感慨深く思い、
急いで帰路につきました。帰路は徒歩で。急いだのは、守衛さんにジッと見られたからです。
行きに通り過ぎてきた龍宝寺に寄ります。
ここには、玉縄城の資料が揃えられているそうです。
龍宝寺の記事はこちら→「徳川家康の家臣となる武将を説得した住職がいた龍宝寺」
JR横須賀線・東海道線・湘南新宿ライン・京浜東北線
大船駅下車 大船駅西口より徒歩20分
清泉女学院裏
※玉縄城址は、清泉女学院の敷地内にあります。敷地内には入ることができません。
神奈川県鎌倉市植木128
JR横須賀線・東海道線・湘南新宿ライン・京浜東北線
大船駅下車
神奈川中央交通バス 藤沢行 「植木谷戸」下車すぐ
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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