続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2021.08.11
〜過去の取材記事の投稿となります〜
德川家康には親近感がある横浜市民の私。
その理由のひとつは、徳川家康が現在の東京にお城を築いたおかげで、徳川家康をはじめ徳川家の遺構が横浜でもみることができるから。
もちろん豊臣秀吉も織田信長もリスペクトとしているけれど、ゆかりの文化財は横浜では、なかなかみつけることができません。
ところが、なんと豊臣秀吉が実際に使っていた手水鉢が横浜にあったのです!
これが
鉢の周りの瓢箪がかわいらしですね。
瓢箪は実を鈴なりに実らせるので「開運」「繁栄」「子宝」の象徴とされていました。
とくに『瓢箪文』の「瓢箪」は、豊臣秀吉にとっては幸運を呼ぶもの。
美濃攻めの合図に使ったのも瓢箪、そしてそれが織田信長に認められ報酬として贈られたのも金の瓢箪。
豊臣秀吉にとって「瓢箪」はラッキーアイテムであったに違いありません。
とても縁起のよい文化財です。
こんな素敵なものがあったのに、今まで見逃していた私。
今回、何気なくみつけて、とっても嬉しかったので皆さんにご紹介しますね。
豊臣秀吉の遺構が横浜でみつからないのは、豊臣秀吉が日本の東側に来たのは小田原までだからかも。
豊臣秀吉は、尾張国愛知郡に生まれて、織田信長の後継の地位を得て、大阪城を築き天下統一を果たしました。
ですので愛知県や大阪府では、ゆかりある遺構がたくさん残っています。
同じ神奈川県とはいえ、小田原にはあっても横浜にはなかなかみつからない秀吉の遺構ですから、ぜひ三渓園に行って、豊臣秀吉が実際に使った手水鉢をみてほしいと思います。
とくに横浜や東京近郊の方は、気分転換に美しい庭園を散策しながら遺構に触れることができるので、ちょっとしたお出かけにおすすめです。
けれど『瓢箪文手水鉢』は、うっかりすると見逃してしまいます。
三渓園のパンフレットに記載されていませんが、お見逃しなくです!
旧天瑞寺寿塔覆堂の近くにあります。
ところで豊臣秀吉の使用した手水鉢がある三溪園は、神奈川県横浜市にある日本庭園が美しい国指定名勝。
原三渓(原富太郎)が造った広大な日本庭園で、季節ごとに咲く花々や所狭しと繁る樹木がとてもみごとです。
横浜に住んでいる私たちにとって三溪園は、四季折々の植物を愛でたり、風景をスケッチしたり、風景写真を撮ったりする「日常的に訪れる庭園」というイメージ。
そのため、重要文化財と書かれている説明板すべてに目を通しているという人はあまり多くないかもしれません。
私もそのひとりで、何度も三溪園に来ているにもかかわらず、豊臣秀吉が実際に使った手水鉢があったなんて、今回まで知りませんでした。
今まで何を観ていたのだろう?
って感じですよね。
おそらく私の場合は、風景に目を奪われていたのだと思います。
池にはオブジェの木船。
そして、池の周りの菖蒲。
広大な蓮の池。
重厚な門は江戸時代1708年頃もの。
京都東山の西方寺にあった薬医門です。
門から続く道。
何度観ても美しいです。
臨春閣は、当初桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていたそうです。
けれど、今は和歌山県にあった紀州徳川家の別荘である巌出御殿のようだと考えられているようです。
いつ訪れても、美しい植物に心休まる三渓園。
豊臣秀吉や徳川家康ゆかりの文化財を観ることができるおすすめの庭園です。
ぜひお出かけください。
【三渓園アクセス】
横浜市中区本牧三之谷58番1号
JR東海道線・京浜東北線・根岸線・横須賀線・湘南新宿ライン・横浜線
横浜駅下車 東口2番バス乗り場 市営バス8、148系統 三渓園入口下車徒歩5分
桜木町駅下車 2番バス乗り場 市営バス8、148系統 三渓園入口下車徒歩5分
根岸駅下車 1番バス乗り場 市営バス58、99、101系統 本牧下車徒歩10分
詳細は三渓園ホームページにてご確認ください
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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