続100名城を巡る 「赤木城」
2024.08.12
2020.10.28
豊臣秀吉が母大政所の病気平癒を祈願したことでも有名な八坂神社。
本殿が国宝に指定された疾病退散を祈願する祇園信仰の総本山です。
その八坂神社西楼門から出てすぐの場所に祇園情緒あふれるお茶屋さんの街並みが続きます。
京都祇園の『お茶屋さん』。
その繁栄のきっかけは、豊臣秀吉が北野で開催した大茶会のときに団子を献上したことによるものという説があります。
今回は、その背景に豊臣秀吉を感じることができる祇園らしい町並み、花見小路をご紹介していきます。
一般的に神社に向かう道には、門前町が栄え、神社詣でをする人々を迎えてくれますが、この祇園西部の花見小路もそういった門前町のひとつ。
花見小路の象徴でもある『一力亭』から建仁寺までの道のりが、祇園らしさを味わうことができるもっとも美しい景観といわれています。
その『一力亭』がこちら。
『一力亭』は、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』にも登場する祇園で最も格式の高いお茶屋さん。
もともとの屋号は『万亭』だったそうです。
歌舞伎の演目の中で『一力亭』として使われていましたが、その演目が大当たりしたことから『万亭』が『一力亭』と呼ばれるようになりました。
『一力亭』は、大正時代初期までは入り口が四条通に面していましたが、法改正によって入り口を花見小路側に移しました。
ところで、京都といえば『祇園』とイメージする方も多いですよね。
『祇園』はご存じの通り、八坂神社の西門前から鴨川までの四条通南北一帯地域のことです。
明治以前は『八坂神社』が『祇園社』と呼ばれていて、敷地が鴨川一帯まであったため、この地域が『祇園』と呼ばれるようになりました。
さて花見小路には、たくさんのお茶屋さんがありますが、お茶屋さんは今でいうところのパーティー会場のようなもので、場所を提供しているだけのところです。
このお茶屋さんで舞踊や音曲を披露する芸奴や見習いである舞妓さんがいるところを置屋といいます。
置屋には、このようにどのような芸奴さんがいるかが玄関に表示されています。
16歳で芸の基礎、所作や踊りを習う1年目をしこみさんといいますが、いずれかの置屋さんに住み込みで暮らして芸奴さんを目指します。
運よくすれ違うことができたのは芸奴さん。
古き良き文化の継承を感じることができる京都の花見小路。
家々の玄関には、魔よけの鐘馗様も飾られていました。
京阪祇園四条駅・阪急河原町駅下車徒歩約10分
阪急河原町駅より徒歩約10分
京都市バス
京都駅中央口市バス206号系統にて「祇園」下車
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
近畿地方の記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています