武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2020年11月3日記事のため内容が古い可能性があります。

ねねも通った「二年坂」や「三年坂」は清水寺へ続く道

2020.11.03

 

 

 

京都の「二年坂」と「三年坂」は、八坂神社から清水寺に続く道として多くの観光客で賑わう場所。

旅行のあり方が変わってきたとはいえ、やはり人気のスポットであることには違いありません。

そんな「三年坂」ですが、今回はちょっぴり怖い「三年坂」のお話をさせていただこうと思います。

 

清水寺へ向かう坂道

京都の観光ルートを考えるとき、八坂神社を出発点にすると、一番回りやすいのが建仁寺を見学し、高台寺、そして清水寺に向かうルートではないかと思います。

その場合、おそらく必ず通るのが「二年坂」そして「三年坂」。

他にもいくつもの坂があるので、寄り道をしていると迷ってしまうこともある道でもあります。

京都の風情を堪能できるこの道は、京都観光には外せない場所です。

 

八坂神社と清水寺の間にあるカラフルな八坂庚申堂

 

「三年坂」と呼ばれる理由

「三年坂」は古くは『産寧坂(さんねいざか)』と呼ばれていました。

その理由は、この道が安産信仰のある子安観音の参拝道に当たるからです。

その『さんねいざか』が訛って『さんねんざか』と呼ばれるようになったのではないかといわれます。

豊臣秀吉の北の政所であった『ねね』は高台寺に住まわれていましたが、高台寺からこの道を通って子宝祈願をしたという話は有名で、それから『産念坂(さんねんざか)』と呼ばれるようになったのは?という別の説もあり、本当のことははっきりとしません。

 

「二年坂」とは?

「二年坂」は「三年坂」の手前にある道なので、「二年坂」といわれるのでは?という説が有力のようです。

こちらも「三年坂」と同様にいろいろと『説』がありはっきりはしていないようです。

ただ、「二年坂」も「三年坂」も『それぞれの道で転ぶと二年以内に死ぬ、三年以内に死ぬ』などという恐ろしい言い伝えが残っていて、気をつけて歩かないといけないと思うとドキドキしてしまう道。

ただ、この言い伝えは『石段や坂道は気をつけて歩きなさい』という警句ではないかと言われます。

 

清水寺の周辺のこと

清水寺は今でこそ「覚悟を決めて挑戦する」という前向きな意味を持っていますが、実はちょっぴり怖い話もあります。

『宇治拾違物語』によるとその当時は『死ぬ気で逃げ切る』というだったとか。

そして『徒然草』には清水寺の付近の『鳥辺野』で人を送らない日はない、つまり亡くなった人を送らない日はないという一節もあります。

高台寺に住まわれていた『ねね』は、そのことを知っていたのか、知らなかったのか・・。

とはいえ何事も前向きに。

ポジティブ思考がしあわせをつかむ鍵です。

 

 

【二年坂・三年坂へのアクセス】

JR京都駅より

市バス清水道(キヨミズミチ)バス停下車 徒歩5分

 

 

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rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

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