武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2018年7月13日記事のため内容が古い可能性があります。

市村鉄之助、小原鉄心のお墓がある大垣市の全昌寺

2018.07.13

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全昌寺は曹洞宗の寺院で、大垣藩の藩主、戸田氏ゆかりの寺院として知られるお寺です。
また、新選組隊士の市村鉄之助のお墓があることでも有名です。

こちらは西美濃三十三霊場30番札所にもなっている有名なお寺です。

尼崎の全昌寺が本院

戸田氏は尼崎から大垣藩へ転封され、戸田氏鉄が初代藩主として大垣藩を治めてきました。
その正室である大誓院がその叔父の戸田甚五郎を弔うために建てられたお寺で、大垣に引っ越す時に分院としてこの地に建てられたそうです。

昭和20年の大垣空襲で伽羅が焼けてしまい、再建されたものが建っていますが非常に立派ですね。

このお寺は戸田家ゆかりのお寺ですが、幕末に活躍した大垣藩の藩士小原鉄心の墓、新選組の市村鉄之助の墓があることでも有名です。

小原鉄心は幕府派から尊皇派へ藩を導いた功労者とされていて、大垣では非常に有名な藩士です。
ペリー来航の時に浦賀で護衛に当たり、戸田氏彬の時には重用され、禁門の変で長州軍を伏見まで追い詰めるほどの武功をあげたそうです。

その後、鳥羽・伏見の戦いでは幕府側として戦っていましたが、新政府軍の許可を得て大垣藩に帰り、佐幕派を論破。
藩論を幕府派から尊皇派変更させ、戊辰戦争では新政府軍側についています。

版籍奉還後は、大垣藩の副知事の立場である大参事に就任しました。

その一方、新選組の藩士として幕府派を貫いた市村鉄之助のお墓もあります。
市村鉄之助は大垣藩士の3男として生まれますが、父が藩から追放され、新選組に入隊。

土方歳三の小姓として働いていましたが、五稜郭にて遺品を土方歳三の親戚の家に届けるよう申し付けられ無事に届けることができました。
しかし、その数年後病死してなくなったとも、西南戦争で西郷軍に加担し戦死したとも言われています。

彼を題材とした「新撰組異聞PEACE MAKER」が大人気となり、彼を偲ぶファンが訪れる史跡としても有名なのだそうです。

徳川家康の東軍の戸田家のゆかりの寺から始まり、幕末の偉人達のお墓があるこのお寺。
現在放送中の大河ドラマ『西郷どん』を見ると、ピンとくる史跡だと思います。

全昌寺へのアクセス

住所: 岐阜県大垣市船町2丁目21
電話:0584-78-2983

<アクセス>
JR大垣駅 徒歩20分

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北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

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