江戸の警備組織 「江戸町奉行所」は東京の有楽町にあった!
2024.01.23
2016.05.10
2016年4月14日
4月14日。熊本県を震源に起こった地震。この度の震災で、熊本県は甚大な被害を受けています。毎日送り届けられるニュースは、数年前の東日本大震災の時の我が身のように、そのたび心が痛む気持ちです。
熊本県、そして周辺地域の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
日本は島国。地震国でもあります。どこで地震が起こっても、誰もが我が身のように想う気持ちが日本人の心にはきっとあるのだと思います。少しでも早く落ち着きを取り戻しますように・・・。
5月4日。前日の雨、朝からの強風もおさまり、東京の空には青空が戻りました。
東京都港区白金台。
覚林寺では年に一度のお祭りが開催されました。
そのお祭りの名は「清正公大祭」。
清正公とは熊本城初代藩主加藤清正のことです。
徳川家康は東照大権現として神格化され、神様としてお祀りされていますが、加藤清正も清正公という神様としてお祀りされています。
加藤清正に大切に養育された日延という僧侶が覚林寺を創建し、加藤清正の像を祀ったお寺が覚林寺といわれています。
江戸時代より「白金の清正公さま」として親しまれてきたお寺です。
この覚林寺で最も大切なお祭りに行ってきました。
行きは南北線白金高輪駅を利用しました。
(南北線白銀高輪駅を出てすぐ左を曲がると直線距離。道路を挟んだ向かい側が覚林寺)
こちらの駅から来られる方のほうが少ないようです。それでも、遠くからでも付近が賑わっている様子がうかがえました。
帰りは品川方面に歩いていこうと思い、そちらへ向かうとすごい数の出店が並んでいました。この出店が並んでいたのは天神坂というそうです。
覚林寺では、この大祭の時だけ授与できる「勝守」をいただけるとあって、多くの参拝者が響き渡る太鼓の音とともに少しずつ足を進めて、本堂へ向かいました。
私も並んで参拝を待ちます。
本堂へのお参りをし、私も「勝守」をいただきました。
「勝守」はこれまであまり持ったことのないお守りです。
小さい頃、親に手渡されたお守りは「厄除け」や「学業成就」。
これまで自分でいただいてきたものも「健康祈願」や「心願成就」でした。
「勝守」をいただきに行こう! と思ったことはなかったのです。それどころか「勝守」があることすら知りませんでした。
勝つことに興味がなかったのか、のほほんと暮らしていたのか、何の壁にも当たらなかったのか、最初から逃げ腰なのかはよくわからないところですが。
けれど「勝つ」ということは、すごく大切なことですよね。
「勝つ」、それは負けないこと、つまり負ではなく正です。退くことではなく進むこと、泣くことではなく笑うことです。
この大祭で授与される「勝守」には、勝負の勝ち負けだけではなく、人生の難関にも勝つという意味も込められているそうです。
そうか、そうだったのね「勝守」。
覚林寺の桔梗紋
小ぢんまりとした覚林寺。
お守りをいただいて本堂を離れ、帰路につこうと思いましたが、なんとなく振り向いてもう一度全体をゆっくり眺めました。
祈祷されている本堂から強く鳴り響く太鼓の音は、熊本県まで届けるかのよう。
そんな想いで、覚林寺を見上げるとお寺の屋根に「桔梗紋」をみつけました。
加藤家の家紋は桔梗紋です。
桔梗は古くから日本人に愛され続けてきた花。
皆さんは、桔梗の花言葉をご存知でしょうか。
「変わらぬ心」「優しい愛情」
桔梗はそんな温かい花言葉をもっています。
今年の「清正公大祭」。加藤清正の「変わらぬ心」と「優しい愛情」がどうぞ熊本まで届きますように。
熊本県では毎年7月に加藤神社で「せいしょこまつり」が開催されているとか。
庶民から愛され「せいしょこさん」と親しまれた加藤清正のお祭りがどうぞ無事に開催されますように。
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東京都港区白金台1-1-47
都営三田線 白金台駅 徒歩5分
東京メトロ南北線 白銀高輪駅 徒歩5分
京急本線 泉岳寺駅 徒歩15分
参拝料 無料
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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