武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年1月26日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 現存天守の巻:弘前城(後編)

2019.01.26

現存天守とは

修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。

日本最北地にある現存天守・「弘前城」

別名:鷹岡城。青森県弘前市にある平山城。津軽為信・信枚親子により築城される。
2019年現在、石垣修復のため天守が一時的に移動されている。

東門

東側の入口、東門。お隣りにある弘前市民文化センターには、津軽為信像があります。

東内門

東門を通り三の丸を西に進むと、東内門が見えてきます。東門も東内門も現存建築物。

門の下には、津軽家の紋が入ったかめが。傘をお借りできる素晴らしい心遣いですね。
このかめ、実は他の門にも置いてあります。

丑寅櫓

東内門から西へ行くと本丸ですが、ここは北へ。すると右手に現れるのが丑寅(うしとら)櫓。
この堀と奥の堀には段差があり、「水戸違い」と呼ばれるダム機能で水位調整しているそうな。

こちらは正面からと、二の丸側からの写真。簡素ですが気品があります。

櫓跡

北の郭の北側にある、子の櫓跡。惜しくも明治39年に消失してしまったとのことです。

こちらは本丸北西に位置する戌亥(いぬい)櫓跡。この方面の物見を担ってました。

未申櫓

二の丸の南西に位置する未申(ひつじさる)櫓。
この写真の反対側は断崖になっており、西側の守りはまさに鉄壁だったと思われます。

城郭の中には、様々な橋が架かっています。その中には朱色の鮮やかな橋もあり、
まず1枚目は三の丸と二の丸を結ぶ、杉の大橋。

2枚目が北の郭と本丸を結ぶ鷹丘橋、3枚目が二の丸と本丸を結ぶ下乗橋です。

ライトアップ

順に大手門、南内門、そして天守。暗闇でより一層映えますねえ。


天守が元の位置に戻るまであと2年くらい。今のお姿を見たい方、計画はお早めに。
次回は、「伊達十万石」愛媛県の南西にあるあの城へ!

 

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弘前城へのアクセス

電車で行く:JR奥羽本線・弘南鉄道弘南線「弘前駅」下車→路線バス「市役所前」下車、徒歩約5分
      弘南鉄道大鰐線「中央弘前駅」下車、徒歩約20分
車 で行く:東北自動車道「大鰐弘前IC」より、北西方面へ約30分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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