丸亀城の城主は関が原の戦いで親が敵だった
2024.02.20
2019.02.08
修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。
別名:鶴島城など。愛媛県宇和島市にある平山城。かつては宇和島湾に面する海城でもあった。
藤堂高虎により築城、伊達宗利により改修されて現在の姿に至る。
城郭の北東側にある、藩老桑折(こおり)氏武家長屋門。
こちらは移築したもので、その際に一部欠けてしまったとのことです。
桑折氏武家長屋門をくぐり、登城開始。緩やかな坂と階段で登りやすい。
少し登ると現れるのは、1枚目の井戸丸御門跡・櫓跡の風格ある石垣。2枚目は井戸。
井戸丸から分かれ道を左へ行くと、二の丸方面へ。天守がちらっと見えてきます。
この階段を登り、二の門跡を通過すれば二の丸。そして、振り返れば絶景!
狭いながらも、本丸目前の重要地だった二の丸。
1枚目は下の敵を狙う役割だった御算用櫓跡、2枚目は本丸へ続く一の門跡です。
さあ、いよいよ天守とご対面。1枚目は正面、2枚目は裏面から。
玄関部を除き、どの面もほぼ左右対称の美しい造りとなっております。
精巧な天守模型の他に、初代藩主・伊達秀宗の甲冑と伊達政宗や豊臣秀吉の甲冑も。
伊達秀宗は正宗の子、さらには豊臣秀吉の猶子となった、という関係からでしょうか。
二階への階段。他の現存天守より比較的緩やかな気がします。
二階から見た二の丸方面。近代建築物がある所、昔は海だったそうな。
こちらは三階からの眺め。南側の山々や町並みが一望できます。
本丸からの帰路、道を変えて本丸の北側に位置する藤兵衛丸方面へ。
こちらは雷門跡。二の丸の真下にあり、上から狙い打たれたらひとたまりもなかったでしょう。
雷門跡を通過し、階段を降りると長門丸。この辺りの苔むした石垣もお見事!
南側も上り立ち門など見どころ満載ですが、時間の都合上見きれませんでした…
次回は、福井県坂井市にある柴田勝豊築城のあのお城へ!
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電車で行く:JR予讃線「宇和島駅」下車、徒歩約15分
車 で行く:松山自動車道「宇和島朝日IC」より、南東方面へ約5分
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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