どこにいた家康 Vol.43 佐和山城
2023.11.10
2020.02.15
1432年生まれ、諱(いみな)は資長。文武両道の名将。
扇ヶ谷上杉家の家宰として活躍し、江戸城築城者としても知られている。
その高い名声が災いし、下剋上を恐れた主君・定正から謀殺されてしまう。
埼玉県さいたま市、岩槻駅の近くにある「芳林寺」。
凛々しい騎馬像だけでなく、道灌の霊廟も合わせて見たいところ。
2キロほど東にある岩槻城跡は、道灌が築城したとかしなかったとか。
芳林寺
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区本町1丁目7−10
東京都、日暮里駅の東口にはこちらの騎馬像が。
和歌を知らずに勘違いした自分を恥じ、和歌を学び教養アップ。
その後の道灌をつくるきっかけとなった伝説をモチーフとした像です。
日暮里駅(東口)
所在地:東京都荒川区西日暮里2丁目19−2
1456年生まれ(1432年説もあり)、小田原を中心に繁栄した後北条氏五代の祖。
北条を名乗ったのは早雲の嫡男である二代目・氏綱の代からであり、
本来は「伊勢宗瑞」などの呼び方が相応しいが、「北条早雲」が一般化している。
早雲が小田原城を攻めた際に用いたという「火牛の計」の像。
史実かどうかはさておき、戦国時代初期の名場面の一つといえるでしょう。
松明を角につけた牛像と騎馬像という芸術的な作品ですね。
小田原駅(西口)
所在地:神奈川県小田原市城山1丁目4
1458年生まれ、出雲国を中心に尼子氏の繁栄を築きあげた人物。
謀略を駆使しその勢力を拡大していったことから、
毛利元就・宇喜多直家とともに「中国三大謀将」と称される。
飯梨川を挟み、東側に月山富田城跡を見上げる位置にある三日月公園。
こちらにあるのが、騎馬像の中でも屈指のカッコよさを誇るこの騎馬像!
経久が攻め落とし拠点とした月山富田城跡との位置関係も素晴らしい。
三日月公園
所在地:島根県安来市広瀬町広瀬2207
1535年生まれ。傑物揃いと言われている「島津四兄弟」の次男。
「鬼島津」と呼ばれるほどの猛将として知られ、
中でも関ヶ原の戦いにおける敵中突破が有名である。
鹿児島県の伊集院駅、南側ロータリーにある騎馬像。
「島津の退き口」へ臨む様をイメージした像でしょうか。
いざ、敵中突破!というような躍動感が凄いですね。
伊集院駅
所在地:鹿児島県日置市伊集院町徳重
1556年生まれ。伊予今治藩主、のちに伊勢津藩主。
主が変わっても様々な才を発揮し重宝され、
特に築城では、加藤清正とならぶ「名人」と呼ばれていた。
雄々しく馬上から指揮を執る、同じ型の騎馬像。
1枚目が、高虎による築城である三重県の津城跡、
2枚目が、高虎出生地といわれている地がある滋賀県の高虎公園です。
津城跡
所在地:三重県津市丸之内33−5
高虎公園
所在地:滋賀県犬上郡甲良町大字在士294
三大水城の一つとして名高い今治城。ここの本丸にも像があります。
年の頃四十代半ば、築城の際に見回るお姿でしょうか。
頭に何も装着していない像というのも、なかなか珍しいと思います。
今治城
所在地:愛媛県今治市通町3丁目1−3
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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