100名城を巡る「甲府城」
2024.10.29
2016.02.12
徳川家康公が浜松にいた期間は29歳から45歳の約17年間です。
この間、今川氏から遠江を攻めとり、武田家と長い戦いを繰り広げ駿河を獲得。信長公の死を乗り越えて甲斐・信濃を併呑し、さらに豊臣秀吉公と小牧・長久手で戦うなど、徳川家康公にとってはまさに波乱万丈の時代でした。
そんな戦ばかりの期間でしたから、ほのぼのとした言い伝えも残ったのかもしれません。
浜松にある「徳川家康公鎧掛松」はその一つです。
あの有名な三方ヶ原の戦いから帰った徳川家康公は、鎧を脱ぎ松にかけて休んだと伝えられています。
それが鎧掛松です。松の近くには清水もあり、疲れた馬の体を冷やしたそうです。
しかし徳川家康公にとって生涯最大の負け戦さだった三方ヶ原の戦いでは、帰ってこれたからといって松に鎧をかけて休んでいる暇はないと思いますがどうでしょうか。
空城の計を指示した後、湯漬けを食べていびきをかいて寝てたなんて話もありますね。
でも、ふだんの戦から帰ってきて松の木陰で涼んだという情景なら想像できます。
鎧掛松という名称は歌川広重の『名所江戸百景、八景坂鎧懸松』も有名ですが、こちらで松に鎧をかけたのは武士の理想とも謳われた源義家。
徳川家康公の「家」の字は源義家からいただいたなんて説もあるぐらいですから、もしかしたら徳川家康公鎧掛松も源義家公の伝説にあやかって後から作られたんじゃないかな、とも思えます。
この鎧掛松は実は3代目なのだそうです。
初代は浜松城の堀のそばにあったそうですが台風で枝が折れて枯れ、2代目は戦争の空襲で焼失。1981年(昭和56年)に改めて植えられたのが今の鎧掛松です。
こうしてみると確かに若い木だし歴史を感じさせるような時間経過はありませんが、徳川家康公を慕う人々の想いが込められているのでしょう。
この部分がちょうど鎧をかけたりするのにいい枝ぶりですね。
枝の向こうには浜松城の天守閣が見えます。なかなかのポジショニング!
3代目の鎧掛松は浜松市役所前に立っています。初代の松とはなんの関係もないといわれればそうかもしれません。
しかし浜松の人々が徳川家康公を慕い、言い伝えを後世に残すために選んだ松です。
もちろん本物の鎧掛松が残っていれば一番いいのでしょうが、こんな風に人の想いが託されたと想像してみると見応えがありますよね。
所在:静岡県浜松市中区元城町103-2 浜松市中区役所西入り口前(34.710597, 137.725266)
見学:無料
アクセス:
<バス>JR「浜松駅」北口バスターミナルから市役所経由の遠鉄バスで約10分。「市役所前」下車。徒歩5分。
<徒歩>JR浜松駅から徒歩25分。
Atsushi.H
フリーWebライター。おもに地元静岡県の歴史、偉人、観光情報をいろいろなサイトで発信中です。好きな戦国武将はやはり地元と関連がふかい徳川家康公。二代将軍秀忠公も地味にすごいと思うのですがどうでしょう。
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