どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2016.03.22
2月27日、岐阜市によって「発掘調査現場の現地説明会」が開かれました。そこでの発表は謎の多い、織田信長の正室の濃姫の居城跡の位置が特定できたこと。
濃姫といえば、肖像画さえもなく、詳しいことがわかっていない人物。そのため今回の発掘は、ファンとしてはとても興味深いもの。発表会には900人もの人が集まったそうです。
その時のお話を伺いに、岐阜市教育委員会社会教育課の高橋さんの元を訪れました!
今回の信長公館跡の調査は633㎡で、期間は平成27年7月2日から平成28年2月26日までの約半年間。現地説明会資料によると、
1・西斜面で庭園が見つかりました
巨石列と石垣に囲まれた方形の池が見つかりました。2・大規模に敷地を拡張したことがわかりました
拡張前と拡張後の2時期の石垣が存在。工事途中で設計変更し、大規模に敷地を拡張しました。拡張工事の際、整地土の中に礎を入れ、排水機能を持たせていたと考えられます。3・金箔瓦建物の位置を特定できました
金箔瓦の出土状況から、庭園上部に金箔瓦建物が存在したと考えられます。
とのこと。
ルイス・フロイスの『日本史』によると、「4~5つの庭園があり、池がある。二階には夫人の館があり、1階よりも立派。すべての座敷に金襴の幕がかかる。町や山側がよく見える」とあり、今回の金箔瓦などの出土で、濃姫がいた屋敷の場所が特定できたとのことです。
現在は保存のため、一旦埋め戻しをしているので、何もない状況です。
しかし、今回は濃姫という人気人物だけに注目度も高かった様子。高橋さんも取材が殺到し、たくさんのメディアに答えていたようです。
岐阜城は信長のコンセプトではおもてなしの城というのが、どんどん明らかになってきています。そのおもてなしの心が、城下町にも現れていて、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜として日本遺産にも認定されました。
岐阜=信長の街として、歴史的にももっと認知されて欲しいと、岐阜県民的には思います。今後の調査が楽しみです。
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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