どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2017.06.27
黒田官兵衛とならぶ智将として人気が高い竹中半兵衛。
『軍師官兵衛』では谷原章介さんが演じていましたね。
竹中半兵衛の出身地は現在の岐阜県垂井町。関ヶ原町のお隣です。
関ヶ原合戦では毛利秀元、吉川広家らが布陣した南宮山のある町です。
そんな垂井町で竹中半兵衛にゆかりのある場所を巡ってきました。
菁莪記念館とは江戸時代にできた藩校で、明治になってからは学校になって発展していったようです。
その当時のレトロな建物が今は資料館となっているようです。
垂井町観光案内のホームページより引用します。
江戸幕府は朱子学を官学とし、藩校などでは武士教育が盛んに行われ、儒学が浸透していきました。
岩手の旗本竹中氏は天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導。明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。
現在、岩手小学校の東南に菁莪記念館が建てられています。
竹中半兵衛のカブトや蘭学を学び医を業とした神田柳渓先生の関連資料が展示されています。
このクラシカルな建物を見るのもなかなか楽しいのでおすすめです。
火曜日は閉館日、入館料は無料です。
竹中半兵衛の城は菩提山城という標高402メートルの山にありますが、居城はこちらの陣屋だったようです。
白壁の正門、立派な石垣が残っています。さすがにちょこちょこ改修はしていると思いますが、当時のものが残っているのは貴重です。
堀も残っています。
隣は小学校になっています。おそらく校庭のグラウンドは堀だったのではないかと見受けられました。
ここにも竹中半兵衛の銅像が。
この五明稲荷は、黒田長政が幼少の時に、有岡城に幽閉された黒田官兵衛が寝返ったと信長が勘違い。
信長の命で官兵衛が有岡城の荒木村重のところに交渉に出向いていたところ、捕まってしまったというのが事実。
しかし、勘違いしたまま怒った信長は官兵衛の息子の首をはねよと命をくだします。
そこで、竹中半兵衛の機転で黒田長政をかくまったのが五明稲荷神社だといわれているそうです。
屋敷跡のようなものは特にありませんが、この場所のどこかでかくまっていたのでしょう。
大銀杏がありましたがこちらは倒木してしまいました。
今はその幹を大事に保護されていました。
少人数の兵で岐阜城を落としたり、当時は恐れられていた織田信長の目を盗んで黒田長政をかくまうなど知恵使ってさまざまな問題を解決してきた竹中半兵衛。
垂井町には竹中半兵衛ゆかりの場所があり、どれもコンパクトに回れるのでぜひぐるりと回ってみてはいかがでしょうか?
レンタサイクルでも行けなくはないですが、夏場は大変かもしれません。
住所:岐阜県不破郡垂井町岩手608−2
住所:岐阜県不破郡垂井町岩手619-2
住所:岐阜県不破郡垂井町岩手2290
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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