どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2018.03.16
岐阜市西荘にある立政寺は、たと言われています。
戦国時代では織田信長が足利義昭を迎えた場所であり、徳川家康も関ヶ原の戦いの時に立ち寄っているという実はスゴイお寺なのです。
立政寺はJR西岐阜駅から徒歩5分のところにある大きなお寺。
文和 3年(1354)、浄土宗西山派の高僧であった智通光居が開山したという、由緒あるお寺です。
後に足利義昭には信長包囲網を2回も組まれ、危機的状況になった織田信長ですが、懇意にしていた時期もありました。
永禄11年(1568)、織田信長は、越前一乗谷の朝倉義景のもとにい足利義昭とともに上洛すべく、岐阜の立政寺に迎えました。
この二人の間を取りもったのは細川藤孝、明智光秀だったようです。
足利義昭がこちらにいらしたことを記念する「御座所」の石碑もあります。
この上洛を機に、織田信長は天下布武を突き進めることになります。
織田信長だけでなく、徳川家康もこのお寺に立ち寄っています。
関ヶ原の戦いの時、大垣の美濃赤坂にある岡山へ向かう途中でした。
時の住職が柿を献上しましたが、その1つがお盆から落ちてしまったそう。
縁起でもないことに偶然とは言えなってしまった状況で、住職は「これは大柿(大垣)が落ちためでたいこと」と即答したので、徳川家康が大喜びしたそうです。
実際東軍の水野勝成の活躍で、西軍の守る大垣城は落城。関ヶ原の戦いでも東軍が勝利をおさめました。
徳川家康はその後立政寺に50石を与えて、下馬所に定めたのだそうです。
ちなみに尾張徳川家の親戚筋の高須松平で3万石なので、かなりの石高を与えられたということですね。
お寺の裏には墓地があり、カエルが泣かないという蓮の池がありました。
今はのどかなお寺ですが、由緒ただしく、まつわるエピソードがとても豪華な穴場です。
住所:岐阜県岐阜市西荘 3-7-11
電話:058-251-8850
<電車>
JR東海道線「西岐阜駅」徒歩5分
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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