武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年2月8日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 現存天守の巻:宇和島城

2019.02.08

現存天守とは

修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。

山あり海あり石垣ありの「宇和島城」

別名:鶴島城など。愛媛県宇和島市にある平山城。かつては宇和島湾に面する海城でもあった。
藤堂高虎により築城、伊達宗利により改修されて現在の姿に至る。

三の丸跡から井戸丸へ

城郭の北東側にある、藩老桑折(こおり)氏武家長屋門。
こちらは移築したもので、その際に一部欠けてしまったとのことです。

桑折氏武家長屋門をくぐり、登城開始。緩やかな坂と階段で登りやすい。

少し登ると現れるのは、1枚目の井戸丸御門跡・櫓跡の風格ある石垣。2枚目は井戸。

井戸丸から二の丸へ

井戸丸から分かれ道を左へ行くと、二の丸方面へ。天守がちらっと見えてきます。

この階段を登り、二の門跡を通過すれば二の丸。そして、振り返れば絶景!

二の丸

狭いながらも、本丸目前の重要地だった二の丸。
1枚目は下の敵を狙う役割だった御算用櫓跡、2枚目は本丸へ続く一の門跡です。

天守

さあ、いよいよ天守とご対面。1枚目は正面、2枚目は裏面から。
玄関部を除き、どの面もほぼ左右対称の美しい造りとなっております。

天守一階

精巧な天守模型の他に、初代藩主・伊達秀宗の甲冑と伊達政宗や豊臣秀吉の甲冑も。
伊達秀宗は正宗の子、さらには豊臣秀吉の猶子となった、という関係からでしょうか。

二階への階段。他の現存天守より比較的緩やかな気がします。

天守二階・三階

二階から見た二の丸方面。近代建築物がある所、昔は海だったそうな。

こちらは三階からの眺め。南側の山々や町並みが一望できます。

藤兵衛丸付近

本丸からの帰路、道を変えて本丸の北側に位置する藤兵衛丸方面へ。
こちらは雷門跡。二の丸の真下にあり、上から狙い打たれたらひとたまりもなかったでしょう。

雷門跡を通過し、階段を降りると長門丸。この辺りの苔むした石垣もお見事!

南側も上り立ち門など見どころ満載ですが、時間の都合上見きれませんでした…
次回は、福井県坂井市にある柴田勝豊築城のあのお城へ!

 

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宇和島城へのアクセス

電車で行く:JR予讃線「宇和島駅」下車、徒歩約15分
車 で行く:松山自動車道「宇和島朝日IC」より、南東方面へ約5分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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