武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年4月26日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 現存天守の巻:丸亀城(後編)

2019.04.26

現存天守とは

修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。

そびえ立つ石垣が圧巻の「丸亀城」

丸亀城 別名:蓬莱城。香川県丸亀市にある平山城で、生駒親正・一正による築城。
現在の天守は、1660年に当時の藩主・京極高和が完成させたといわれている。

二の丸搦手門跡付近

前回の続きです。本丸から二の丸へ戻り、北側へ進むと搦手門跡へ。

門跡を下り、左側を見上げれば、天守と本丸隅櫓跡の石垣!絶景ですね。

戌亥櫓跡

北側へ目を移せば、戌亥櫓跡。この櫓は明治2年、惜しくも焼失してしまいました。

本丸西側と南側の石垣

石垣を左手に見ながら、南へ進んでいきましょう。すると、このような石垣が出現!
石垣が崩れないよう、外から石垣で保護する「ハバキ石垣」と呼ばれるものです。

こちらは更に進んで南側の石垣。右へ行けば搦手方面、真っ直ぐ進むと三の丸へ。

月見櫓跡

三の丸の南東にある月見櫓跡。ここから「讃岐富士」とも呼ばれる飯野山が見られます。

栃の木御門跡

少し戻り、南側へ下っていくとあるのが、この栃の木御門跡。周辺の石垣も良い。

野面積み石垣

栃の木御門跡を通過し、遊歩道を東側へ向かうと、この石垣がご登場。
丸亀城では様々な積み方の石垣が見られますが、やはり野面積みが一番テンション上がります!

搦手門跡

丸亀城 南側の入口、裏の玄関口である搦手門跡。二枚目は内堀。
もともとはこちら南側が大手でしたが、京極氏が藩主になった頃に北側が大手となりました。

三の丸坤櫓跡・帯曲輪石垣

残念ながら、昨年大雨の影響で崩れてしまった南西側にある石垣群。
この写真は、2014年に撮影したものです。2023年度の復旧を目指し、現在修復中。

御殿表門

藩主が住む御殿の玄関先にあった御殿表門。この門も江戸時代から現存するものです。

ライトアップ

最後に神々しく輝く丸亀城の天守を。本丸までの道中は、思っていたより明るかったです。
本丸からは天守だけでなく、遠くに瀬戸大橋も見られる贅沢な景色と言えるでしょう。


丸亀城では、今後も石垣修復に向けて様々なイベントが行われるようです。
石垣修復情報も公式HPで公開されていますので、気になる方はぜひご覧ください。
次回は、長野県にあるあの黒い天守を再び見てゆきたいと思います!

 

写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

 

丸亀城へのアクセス

電車で行く:JR予讃線「丸亀駅」より徒歩約15分
車 で行く:高松自動車道「坂出IC」より西方向へ約15分

 

丸亀城ホームページ

https://www.marugame-castle.jp/

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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