丸亀城の城主は関が原の戦いで親が敵だった
2024.02.20
2019.04.26
修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。
丸亀城 別名:蓬莱城。香川県丸亀市にある平山城で、生駒親正・一正による築城。
現在の天守は、1660年に当時の藩主・京極高和が完成させたといわれている。
前回の続きです。本丸から二の丸へ戻り、北側へ進むと搦手門跡へ。
門跡を下り、左側を見上げれば、天守と本丸隅櫓跡の石垣!絶景ですね。
北側へ目を移せば、戌亥櫓跡。この櫓は明治2年、惜しくも焼失してしまいました。
石垣を左手に見ながら、南へ進んでいきましょう。すると、このような石垣が出現!
石垣が崩れないよう、外から石垣で保護する「ハバキ石垣」と呼ばれるものです。
こちらは更に進んで南側の石垣。右へ行けば搦手方面、真っ直ぐ進むと三の丸へ。
三の丸の南東にある月見櫓跡。ここから「讃岐富士」とも呼ばれる飯野山が見られます。
少し戻り、南側へ下っていくとあるのが、この栃の木御門跡。周辺の石垣も良い。
栃の木御門跡を通過し、遊歩道を東側へ向かうと、この石垣がご登場。
丸亀城では様々な積み方の石垣が見られますが、やはり野面積みが一番テンション上がります!
丸亀城 南側の入口、裏の玄関口である搦手門跡。二枚目は内堀。
もともとはこちら南側が大手でしたが、京極氏が藩主になった頃に北側が大手となりました。
残念ながら、昨年大雨の影響で崩れてしまった南西側にある石垣群。
この写真は、2014年に撮影したものです。2023年度の復旧を目指し、現在修復中。
藩主が住む御殿の玄関先にあった御殿表門。この門も江戸時代から現存するものです。
最後に神々しく輝く丸亀城の天守を。本丸までの道中は、思っていたより明るかったです。
本丸からは天守だけでなく、遠くに瀬戸大橋も見られる贅沢な景色と言えるでしょう。
丸亀城では、今後も石垣修復に向けて様々なイベントが行われるようです。
石垣修復情報も公式HPで公開されていますので、気になる方はぜひご覧ください。
次回は、長野県にあるあの黒い天守を再び見てゆきたいと思います!
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電車で行く:JR予讃線「丸亀駅」より徒歩約15分
車 で行く:高松自動車道「坂出IC」より西方向へ約15分
丸亀城ホームページ
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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