どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2019.12.11
埋門跡から高台へ続く立派な石垣。
枡形もあり、まるでお城のような、岐阜県の上石津町の多良地区にある「西高木家陣屋跡」をご紹介します。
ここは城ではなく「陣屋」。高木家というのは現在の海津市にあたる今尾城などに勢力を張った豪族。
土岐氏の時代から、斎藤道三・龍興、織田信長など、美濃国の領主にそれぞれ仕えます。
そして関ケ原合戦では東軍として軍功をあげ、慶長6年に石津郡時・多良郷に4300石与えられ、領主として入郷しました。
その内わけですが西が2300石と最も多く、北と東がそれぞれ1000石。
現在の立派な石垣群が残っているのは西高木家です。
「西高木家陣屋跡」の立地ですが、伊勢街道を西から見下ろす位置にあります。
交通の要所に陣屋が面しているといった形です。
実は高木家は交代寄合美濃衆として大名と同等の格式が許されていました。
江戸にも邸宅があり、参勤交代も行っていたという歴史があります。
高木家に期待された重要な任務とは、幕府の非常事態に備えること。
そして水行奉行として、笠松代官所と連携し河川管理や治水対策に携わることでした。
有名な宝暦治水の際は、現場での監督も行っています。
石垣群へ話を戻しましょう。
こちらは埋門跡の石垣で、文化12年の作事に関する文書によると「瓦葺きでひさし付きの2階建ての櫓門形式」であったことがわかっています。
陣屋東の石垣は最も高い部分で5メートル余、南北への長さは65メートル以上もある圧巻の石垣です。
街道から見て複数の石垣が連なっている光景は、近世の旗本陣屋としての風格・威厳ともにものすごいものを感じられます。
使用されている石材の95%が養老山系の硬質砂岩、4%が花崗岩、1%が結晶片岩という構成で、近くの牧田川からら採取したと考えられているそうです。
石垣群の上には高木家についての資料や、2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公・明智光秀の生まれた場所としての期待が高まる多羅城についての資料がある「大垣市上石津郷土資料館」があります。
郷土資料館の駐車場に車を停め、「大垣市上石津郷土資料館」と石垣群を同時に見学する方法がおすすめです。
岐阜県大垣市上石津町宮237番地1
TEL 0584-45-3639
入館料 大人100円、高校生以下無料
休館日 火曜日、祝日の翌日、年末年始
火曜日が祝日の場合はその翌日
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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