武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年8月23日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 現存天守の巻:伊予松山城(後編)

2019.08.23

現存天守とは

修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。

勝山にそびえ立つ要塞「伊予松山城」

別名:金亀城、勝山城。愛媛県松山市にある連郭式の平山城。
加藤嘉明による築城であるが、落雷により焼失。1854年に再建される。

大天守から玄関多聞櫓へ

大天守の地下一階にあたる穀倉から入ります。
階段を登り、順路に従い内門の上を通過してゆきましょう。

天守群を左回りで進み、階段を降り玄関多聞櫓へ。
昔の玄関口でもあり、防衛施設でもあった場所です。

北隅櫓

続いて、玄関多聞櫓の隣りにある北隅櫓へ入ってゆきます。
ここから展示物があり、甲冑や書状なども見応え充分。

十間廊下

こちらは、北隅櫓と南隅櫓をつなぐ十間廊下の様子。

乾門のある南西方面の防衛も考え、狭間も沢山ありました。

南隅櫓から多聞櫓へ

十間廊下の次は、南隅櫓。2枚目が多聞櫓です。

小天守

南の大手方面を監視する小天守。大天守と北隅櫓をつなぐ内門から
この小天守と大天守をつなぐ筋鉄門までが昭和43年の再建です。

ここの展示の目玉は、侍の似顔絵が描かれた板!
への字口の奉行らしき人物に、何かしら不満があったんでしょうねえ。

大天守

いよいよ大天守へ。昭和8年に小天守等は焼失してしまいましたが、
大天守は被害を免れ、1854年からその姿を保っております。

こちらは、二階の様子。戦を意識した要塞といった外観ですが、
内部は床の間あり敷居ありと、寛げる空間にもなりそうです。

大天守からの眺め

大天守三階からの眺め、1枚目は南側の本丸方面。

2枚目は西側。北隅櫓・十間廊下・南隅櫓や乾櫓も見られます。

3枚目は東側。町並みの中、中央辺りにあるのが湯築城跡です。

内門と仕切門

天守西側にある内門。上の櫓は最初の方で通りましたね。

最後に仕切門。内門とともに枡形を形成。
この仕切門と、左に見える内塀は現存建築物です。

ライトアップ

天守群を本丸から。2枚目は切符売り場付近から撮影。

こちらは、乾門付近からの北隅櫓・十間廊下・南隅櫓。

夜の勝山、三脚を持って登るのはなかなか骨が折れました…
この現存天守シリーズも、残すところあとふたつ。次回は、姫路城へ!

 

写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

 

伊予松山城(東雲口方面)へのアクセス

電車で行く:伊予鉄道松山市駅線・下り「大街道駅」より北へ徒歩約5分。
      伊予鉄道環状線・下り「赤十字病院前駅」より南へ徒歩約6分。
車 で行く:松山自動車道「松山IC」より北方向へ約20分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

四国地方の記事

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

この記事の後によく読まれているおすすめ記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ