丸亀城の城主は関が原の戦いで親が敵だった
2024.02.20
2019.08.23
修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。
別名:金亀城、勝山城。愛媛県松山市にある連郭式の平山城。
加藤嘉明による築城であるが、落雷により焼失。1854年に再建される。
大天守の地下一階にあたる穀倉から入ります。
階段を登り、順路に従い内門の上を通過してゆきましょう。
天守群を左回りで進み、階段を降り玄関多聞櫓へ。
昔の玄関口でもあり、防衛施設でもあった場所です。
続いて、玄関多聞櫓の隣りにある北隅櫓へ入ってゆきます。
ここから展示物があり、甲冑や書状なども見応え充分。
こちらは、北隅櫓と南隅櫓をつなぐ十間廊下の様子。
乾門のある南西方面の防衛も考え、狭間も沢山ありました。
十間廊下の次は、南隅櫓。2枚目が多聞櫓です。
南の大手方面を監視する小天守。大天守と北隅櫓をつなぐ内門から
この小天守と大天守をつなぐ筋鉄門までが昭和43年の再建です。
ここの展示の目玉は、侍の似顔絵が描かれた板!
への字口の奉行らしき人物に、何かしら不満があったんでしょうねえ。
いよいよ大天守へ。昭和8年に小天守等は焼失してしまいましたが、
大天守は被害を免れ、1854年からその姿を保っております。
こちらは、二階の様子。戦を意識した要塞といった外観ですが、
内部は床の間あり敷居ありと、寛げる空間にもなりそうです。
大天守三階からの眺め、1枚目は南側の本丸方面。
2枚目は西側。北隅櫓・十間廊下・南隅櫓や乾櫓も見られます。
3枚目は東側。町並みの中、中央辺りにあるのが湯築城跡です。
天守西側にある内門。上の櫓は最初の方で通りましたね。
最後に仕切門。内門とともに枡形を形成。
この仕切門と、左に見える内塀は現存建築物です。
天守群を本丸から。2枚目は切符売り場付近から撮影。
こちらは、乾門付近からの北隅櫓・十間廊下・南隅櫓。
夜の勝山、三脚を持って登るのはなかなか骨が折れました…
この現存天守シリーズも、残すところあとふたつ。次回は、姫路城へ!
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電車で行く:伊予鉄道松山市駅線・下り「大街道駅」より北へ徒歩約5分。
伊予鉄道環状線・下り「赤十字病院前駅」より南へ徒歩約6分。
車 で行く:松山自動車道「松山IC」より北方向へ約20分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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