武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年9月27日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 現存天守の巻:姫路城(前編)

2019.09.27

現存天守とは

修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。

白き不戦の城「姫路城」

別名:白鷺城。兵庫県姫路市にある渦郭式平山城。国宝、世界遺産。
赤松氏による築城、黒田氏・羽柴氏の時代を経て徐々に大規模化。
現在の城郭は、城主が池田輝政の時代になってからのもの。

桜門橋と大手門

南側内堀にかかる桜門橋と、その左手に広がる素晴らしい石垣。

桜門橋の先には、三の丸へ続く玄関口である大手門。
訪城した2018年は、世界遺産登録から25周年という記念の年でした。

三の丸

大手門をくぐれば、広大な三の丸の向こうに美しき天守群が!
写真はそれぞれ大手門付近から、近づいてやや東側から、やや西側から。


菱の門

入城口の先にある櫓門・菱の門。姫路城内で最も巨大な門です。

写真ではわかりづらいですが、門柱の上に彫ってある菱の紋が名の由来とのこと。

三国堀

菱の門を抜けると、右前方には天守群と三国堀が。
この三国掘の石垣、かつて空堀だったといわれる箇所を石垣で埋めた跡が見られます。

いの門・ろの門

三国堀を右手に見ながら進み、二の丸へ続くいの門からろの門へ。
ここから先の門は、一部を除きいろは順に名前がつけられています。

ろの門付近から見る天守群

ろの門をくぐり本丸方面に進みましょう。この構図、何度見ても飽きません!

はの門・にの門・ほの門

ろの門からにの門までは、折返しの連続。天守群が近くて遠いといったところ。
1枚目がはの門、2・3枚目がにの門です。


こちらは、ほの門。ここをくぐれば、いよいよ天守群の下へ。

姥が石・油壁

ほの門を通過すると、右側に油壁といわれる土塀が現れます。

乾小天守の石垣には、網で保護されている姥が石というものが。
羽柴秀吉が石垣の石集めに苦労している、と聞いたお婆さんが使っていた石臼を寄付。
これを喜んだ秀吉が石垣に利用した、という伝説があったそうです。

水一門・水二門

ここから、水のつく門が一門から六門まで続きます。
由来は、油壁のある腰曲輪に井戸があり、そこから水を運ぶ通路だったことから。

水六門

この水六門をくぐれば、いよいよ天守群内部へ。

と、入城する前に。見上げればなかなか素敵なアングルがあります。

このシリーズは大体前後編でお届けしてきましたが、姫路城は収まりきりませんでした…
次回中編は、天守群内部と帰路をご紹介してゆきます。

 

写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

 

姫路城へのアクセス

電車で行く:JR「姫路駅」より北へ徒歩約20分。
車 で行く:山陽自動車道「姫路東IC」より南西方向へ約15分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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