城を巡る 復興天守の巻:岩国城
2022.02.13
2019.09.27
修復・改築・元の素材を用いての再建などを経て、
江戸時代からその姿を残している天守のこと。
日本全国で、該当するのは12城のみ。
別名:白鷺城。兵庫県姫路市にある渦郭式平山城。国宝、世界遺産。
赤松氏による築城、黒田氏・羽柴氏の時代を経て徐々に大規模化。
現在の城郭は、城主が池田輝政の時代になってからのもの。
南側内堀にかかる桜門橋と、その左手に広がる素晴らしい石垣。
桜門橋の先には、三の丸へ続く玄関口である大手門。
訪城した2018年は、世界遺産登録から25周年という記念の年でした。
大手門をくぐれば、広大な三の丸の向こうに美しき天守群が!
写真はそれぞれ大手門付近から、近づいてやや東側から、やや西側から。
入城口の先にある櫓門・菱の門。姫路城内で最も巨大な門です。
写真ではわかりづらいですが、門柱の上に彫ってある菱の紋が名の由来とのこと。
菱の門を抜けると、右前方には天守群と三国堀が。
この三国掘の石垣、かつて空堀だったといわれる箇所を石垣で埋めた跡が見られます。
三国堀を右手に見ながら進み、二の丸へ続くいの門からろの門へ。
ここから先の門は、一部を除きいろは順に名前がつけられています。
ろの門をくぐり本丸方面に進みましょう。この構図、何度見ても飽きません!
ろの門からにの門までは、折返しの連続。天守群が近くて遠いといったところ。
1枚目がはの門、2・3枚目がにの門です。
こちらは、ほの門。ここをくぐれば、いよいよ天守群の下へ。
ほの門を通過すると、右側に油壁といわれる土塀が現れます。
乾小天守の石垣には、網で保護されている姥が石というものが。
羽柴秀吉が石垣の石集めに苦労している、と聞いたお婆さんが使っていた石臼を寄付。
これを喜んだ秀吉が石垣に利用した、という伝説があったそうです。
ここから、水のつく門が一門から六門まで続きます。
由来は、油壁のある腰曲輪に井戸があり、そこから水を運ぶ通路だったことから。
この水六門をくぐれば、いよいよ天守群内部へ。
と、入城する前に。見上げればなかなか素敵なアングルがあります。
このシリーズは大体前後編でお届けしてきましたが、姫路城は収まりきりませんでした…
次回中編は、天守群内部と帰路をご紹介してゆきます。
写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック
電車で行く:JR「姫路駅」より北へ徒歩約20分。
車 で行く:山陽自動車道「姫路東IC」より南西方向へ約15分。
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
中国地方の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています