どこにいた家康 Vol.46 大坂城
2023.12.02
2016.01.15
2016年の大河ドラマ『真田丸』が始まりましたね!
その真田幸村が最後に活躍した、大坂の陣で、舞台になるのは大阪城です。
そちらの学芸員さんにお話を聞きに行った時、大阪城は「大坂の陣」イベント一色でした。
大阪城では豊臣石垣公開プロジェクトの、クラウドファンディングなどで資金を集めようとされています。
現在も調査が行われていますが、一部ですが豊臣時代の石垣を近隣で見ることができます。
大阪城の石垣の楽しみ方をご紹介します。
大阪冬の陣の講和で埋め立てられてしまった、豊臣時代の石垣。その一部が見られる場所が、大阪城の外にあります。
これは大阪城に行ったら絶対チェックして欲しい場所。
かなりたくさんの石垣が拝めるすごい場所!見ると思わず「すごい!」と言ってしまいますよ。大阪城の外で5分位で行けます。
ちなみにこちらが大阪城の石垣。打込み接ぎで隙間がありません。
徳川時代の石垣の特徴ですね。
この石垣は慶長3(1598)年、大坂城の防御力を強固にするために築かれた三の丸の石垣。自然の石を積み上げた野面積み。これは1万7千もの民家を城外へ強制移転させて作ったんだとか。当時の石垣の高さは最大で3.3mで、徳川が埋め立てた時の高さは推定約5m。大阪冬の陣の講和で、どのくらい石垣を埋めたのかがよくわかりますね。
大阪城のすぐ裏にある、追手門学院小学校にある石垣。こちらも豊臣時代の三の丸の石垣を復元したもの。小学校の地下にも石垣が発掘されたようですが、一般公開はされていません。
こちらは徳川時代の石垣なので、野面積みではなく石がきれいに整形されています。
ドーンセンターのすぐ近くなので比較してみると面白いですよ。
この青屋門。ガイドさんに聞いた話によると、ここから城内の死体を運んだという噂があるそうです。
場所が北東に位置し、いわゆる鬼門。
この門は徳川時代に作られたもののようです。
徳川時代で死体といえば、大坂の陣で亡くなった遺体も運んだことでしょう。いろんな思いがあって、その石垣の中の一部に人面石垣があるとか。
無理やりズーム。なんとなく人の顔に見えませんか?
豊臣秀吉の最高傑作の城・大阪城。当時は世界一の城で、徳川家康も最後まで恐れた場所。
冬の陣で石垣を埋めなかったらどうなっていたんでしょうか。
大坂城は豊臣と徳川の戦のあとを石垣で見ることができる貴重な場所。
次回行く時は城外の石垣や青屋門の噂もチェックしてみてください。
<地下鉄>
・谷町線
「谷町4丁目駅」1-B番出口
「天満橋駅」3番出口
・中央線
「谷町4丁目駅」9番出口
「森ノ宮駅」1番出口、3-B番出口
・長堀鶴見緑地線
「森ノ宮駅」3-B出口
「大阪ビジネスパーク駅」1番出口
<JR>
・大阪環状線「森ノ宮駅」「大阪城公園駅」
・東西線「大阪城北詰駅」
<バス>
大手前、馬場町
【62系統】大阪駅~淀屋橋~天満橋~大手前~馬場町~あべの橋~住吉車庫前
<水上バス>
大阪城港 八軒家浜船着場
<車>
・神戸方面から
阪神高速 13号東大阪線 法円坂出口
・東大阪方面から
阪神高速 13号東大阪線 森之宮出口
<駐車場>
一般乗用車 森ノ宮駐車場
98台 終日 【8時から22時まで】 1時間 350円
【22時から8時まで】 1時間 150円
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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