武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2016年2月3日記事のため内容が古い可能性があります。

織田信長の最高傑作!安土城の階段にある「石仏」って、やっぱアレだよね?

2016.02.03

IMG_0139_R

織田信長の最高傑作の城「安土城」。豊臣秀吉の「大阪城」、徳川家康の最後に作った城である「名古屋城」しかり、晩年期の城は外せませんね。

さて、そんな安土城は大阪城や名古屋城と違い、城跡しかありません。
地元の方と話した時は「あー、城があればねえ」と、城跡のみの安土城に対して残念感をお持ちのようでした。

しかし建物だけが楽しみではないはず。あの織田信長が最後に作った超絢爛豪華な当時最新鋭の城の足跡をめぐる楽しさがあります。
織田信長といえば、あの歴史と日本史の教科書を思い出す「石仏」にも注目です。

各所にある石仏が気になる

IMG_0134_R

安土城は五重六階地下一階の木造高層建造物。1階から4階までが吹き抜けの構造で、中は狩野永徳の金碧障壁画で飾られた、とんでもなく豪華なお城でした。

というわけで、頂上まではなかなか長い距離を登っていかねばなりません。
その階段には「石仏」と書かれたものがいくつもあります。

IMG_0141_R

IMG_0132_R

IMG_0139_R

これは築城当時、山から採取する石だけでは間に合わず、墓石や石仏も材料として使っていたのだそうです。
材料不足だけでなく、信長自身の権威を示すためのものでもあったのだとか。

ビビリな私は100%避けて登りました。これ殆どの人は踏めないですよね。。。
お賽銭入れが横にあるのは、仏様や墓石に対する畏敬の念なのかもしれません。

信長時代ならではの野面積み

石を自然に積んだ石垣、野面積み。防御力としては足をかけて侵入できてしまうので、大阪城、名古屋城の切込接ぎに比べて弱め。

しかし、景観的には自然の形がよく出いて、ファンの多い石垣でもあります。

信長時代はまだ土塁から石垣を使うという点だけでも新しかったので、当時の最新技術としての野面積みを味わいます。

IMG_0144_R

IMG_0147_R

途中には織田信澄の居城跡が。織田信澄は信長の甥っ子。信長には随分と可愛がられていたようですが、本能寺の変以降、明智光秀の娘を正室としていたことから、織田信孝の家臣により、28歳の若さで大阪の野田城で殺されてしまった悲劇の武将です。

IMG_0145_R

こちらが天守。礎石の数が多い!東西10列、南北10列もあります。

IMG_0154_R

こちらは琵琶湖が見えるもの。天守台からではなく、裏手の摠見寺の高台で撮ったものです。

昔は天守からも琵琶湖がよく見えたのでしょうね。今は平野しか見えませんでしたが、勝手に妄想するにはここがおすすめです。

IMG_7189_R

信長まつりの日は入山料700円が無料になります!そして信長役の武将隊的な方にも会えます。

IMG_0130_R

安土城は1回だけでは味わいきれませんでした。また行ってじっくり見て回りたいと思います。

IMG_0129_R

安土城へのアクセス

住所:近江八幡市安土町下豊浦
電話:0748-46-4234(安土駅前観光案内所)

<公共交通機関>
JR琵琶湖線 「安土駅」 下車 徒歩 25分
駅前のレンタサイクルを使うと10分くらいで行けます。

<車>
名神竜王ICから20分
駐車場 普通車 150 台
大型車 10 台

<入場料>
安土城跡入山料 700円
(そう見寺拝観料 別途500円)

<サイト>
滋賀・びわ湖観光情報

武将カテゴリ

地域カテゴリ

北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

滋賀県の記事

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

織田信長の記事

この記事の後によく読まれているおすすめ記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ