江戸の警備組織 「江戸町奉行所」は東京の有楽町にあった!
2024.01.23
2016.03.05
戦国時代の姫の中でも、これほど定説がない姫はいないかもしれない千姫。
まさに戦国の結婚そのもの豊臣秀頼の妻となった千姫
豊臣秀吉が徳川家康に千姫を豊臣秀頼の妻にさせることを約束させ結婚。
千姫が大阪城にいれば、徳川家康が攻めてくることはないと思ってのことだと言われています。
しかし、大坂夏の陣の際、最終的には千姫だけが助かってしまいます。
その後、本多忠刻と再婚し姫路城で暮らしましたが、忠刻が亡くなった後、千姫は江戸に戻ってきたということです。
千姫の逸話の中から
千姫には、およそ姫にはそぐわない逸話が数々残っているようですが、そのような中で注目したいのが、鎌倉にある東慶寺にまつわるお話です。
大阪城が落城した後、徳川家康は、豊臣秀頼と側室の子のうち、娘だけを尼とすることで助けました。そして、この東慶寺で出家させたのです。千姫は、この出家した豊臣秀頼の側室の子を養女に迎えました。そして、とてもかわいがって、手紙などのやりとりもしていたと言われています。
東慶寺パンフレット内画像を撮影
千姫は、豊臣秀頼が亡くなった後からの様子がかなり変だったという話もありますが、もし、そんなに変であったとしたら、側室の子を、我が子のようにかわいがることはできなかったのではないでしょうか。かなり変だったとみえたのは、千姫は豊臣秀頼を亡くしたショックからだったかもしれません。二人の間には子どもがなかったので、養女となった天秀尼を我が子のようにかわいがることで千姫は、自分自身が癒されたとも考えることができます。
徳川家康の命で、わずか7歳で出家した天秀尼が住職であった東慶寺は尼寺らしく四季折々の花に囲まれた柔らかな雰囲気のお寺です。
山門を入ってすぐ左にある鐘桜
鐘桜を少し進むと右手に本堂があります。
宝形造の屋根が美しい本堂。その泰平殿に祀られているのがご本尊の釈迦如来坐像です。
ところどころにある観音様は尼寺ならではという感じです。
小ぢんまりとしたお寺ですが、手入れが行き届いてきれいです。この奥はゆるい上り坂になり、お墓に続いています。
JR横須賀線「北鎌倉駅」より徒歩4分
拝観料 大人200円 小・中学生100円
松岡宝蔵 特別展500円
常設展400円
※休館日 月曜日(祝祭日の場合は開館)
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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