江戸の警備組織 「江戸町奉行所」は東京の有楽町にあった!
2024.01.23
2016.08.15
皆さんは「吉原」というと、どのようなイメージを思い浮かべますか?
そこはどこにあって、どんな役割をしていたのかを想い描くことはできますか?
(国立博物館 浮絵新吉原夜見世資料を撮影)
吉原は江戸幕府公認の遊郭で初めは日本橋の辺りに「吉原遊郭」として存在しました。
江戸城の近くに遊郭をつくったのは徳川家康だったというのには、さすがに少し怯んだ私です。
しかも、駿府城下にあった二丁目遊郭の一部を移転させたということです。
徳川家康がなぜ、そこまでして遊郭を設けたかというと、
江戸の整備のためにたくさんの男性が職人として江戸に集まっていたことなど、
当時の江戸は男性ばかりが溢れていたからということです。
女性としては、だからといって遊郭を設置することがよいのでしょうか?
と思いますが、徳川家康はそれがよいとして設置したのだそうです。
徳川家康によって日本橋の辺りに設置された吉原遊郭は明暦の大火の後、
浅草寺五重塔の裏に移転しました。
幕府の祈願所である浅草寺には、大奥取締役であった春日局や、
江戸城に住まう姫たちも祈願に訪れることもあったことでしょう。
天下泰平と庶民に親しまれていた歌舞伎では、
艶やかな男姿のお国は庶民の憧れの的になっていました。
それはある意味で表舞台の女性たち。
そんな華やかな浅草寺の裏手には、吉原遊郭の大門という門が設置されていました。
(国立博物館 浮絵新吉原大門口仲之町資料を撮影)
大門は遊郭にいる女性たちが逃げ出さないようにと設置されたたったひとつの出入り口です。
吉原遊郭という隔離されたこの場所で一生を終わることもある女性たちがいた
ということを私はもっと真摯に受け止めたいと思わずにはいられません。
花魁に憧れる胸中
当然といえば当然なのですが、遊郭の女性たちにも階級があったようです。
有名な花魁はその中でもトップスター。
品格も知性も求められる優秀な女性がその座に就けたということです。
けれど、外出も自由にできないのであったなら、
知性を身につけたくてもその術はなかったのではないでしょうか。
能力があっても、その願いを叶えることはできなかったのではないでしょうか。
そんな風に考えると、吉原遊郭の存在が本当に必要だったのかと思わずにいられません。
戦国の世の姫たち。
そして吉原遊郭の女性たち。
どちらも立場は違えども「支える」という存在であったことは確かです。
そんな強くて優しい女性たちのことを、時に想い出してみることも大切なことのように思います。
新吉原近辺には、吉原神社などもあります。
台東区が発行しているマップには「浅草北部東西横断コースなど
3つのモデルコースが紹介されています。
そういえば・・、樋口一葉の著名「たけくらべ」は吉原に縁のあるお話です。
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浅草散策:台東区観光課
資料参考:国立博物館
【浅草寺アクセス】
東武スカイツリーライン 浅草駅より徒歩5分
東京メトロ銀座線 浅草駅より徒歩5分
つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩5分
都営地下鉄浅草線 浅草駅A4出口より徒歩5分
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rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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