どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2016.07.12
代々遠山氏が城主を務めた(森氏、川尻氏の時期もあり)、天然の要害。別名:霞ヶ城
壁を白く塗ってもすぐ嵐で壊れるため「龍が白色を嫌い剥がしに来る」と信じられ、
城の壁は赤土がむき出しだったことから、「赤壁城」とも呼ばれたという。
別名:大手門。門跡の左側には大矢倉跡、右側には門番所があったそうです。
苗木遠山史料館には、城門が保存・展示されています。
風吹門跡を抜け、三の丸跡から見る大矢倉跡。苗木城の守りの要でした。
風吹門跡の正面あたりに見える駈(かかり)門跡。虎口石垣が残っています。
三の丸と二の丸を隔てていた大門跡。左前方には、本丸跡への登城路。
自然の巨石と人工的に積み上げられた石垣の調和が素晴らしい!
二の丸から本丸への登城路にかけての石垣。大きさ・積み方が様々で面白いです。
はたして、どこからどこまでが人工的なものなのでしょうか。
こちらは、坂道の下にあったから坂下門。石垣を楽しみながらの折り返しが続きます。
菱櫓門跡を通過すると、いよいよ本丸へ。こちらは、本丸口門跡と千石井戸。
本丸玄関口からの眺め。上から見下ろす大矢倉跡がいいですねぇ。
天守台跡。二つの巨石上にまたがり、天守が立っていたというから驚きです。
天守台跡展望台からの眺め。眼下に流れる木曽川には龍が住むと信じられていたそうです。
馬洗岩。城内の水不足を悟られぬよう、この岩上で馬を米で洗い
さも水が豊富にあるよう装い、敵を欺いたという言い伝えがあります。
巨石の上に石垣を積んであるのを見て、従来の「石垣」という定義を覆されました。
写真では伝わりにくいので、是非生で見てその迫力を体感していただきたいと思います。
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☆ 公共交通機関で行く
JR中津川駅前より北恵那交通バス苗木・付知方面へ約10分。
「苗木」バス停下車後、徒歩約20分。
☆ 車で行く
中央自動車道「中津川IC」から北方向へ約10分。苗木遠山史料館に駐車場あり。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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