どこにいた家康 Vol.42 松尾山城
2023.11.04
2017.06.12
数ある関が原の陣跡の中で一・二を争う大人気陣跡が、石田三成が陣を構えた笹尾山。
石田三成人気というのもありますが、約5分~10分で陣跡の上まで行けるアクセスの良さも人気なのかもしれません。
そんな大人気の笹尾山の頂上、階段の手すりの工事が終わり、プチリニューアルされていました。
プラス、数年前に誕生した細川忠興の陣跡も含め、関ヶ原陣跡のニュースポットとして2つをご紹介します。
笹尾山へはひたすら階段を上がるコースと、緩やかな山道を上がるコースがあります。
階段は一番早く到達できますが、「えー、まだ登るの?」としんどくなる可能性が高いので、山道のほうが「気持ち的に楽」だと思われます。
ずんずん約5分から10分かけてあがるともう頂上です。
頂上のリニューアルポイントは関が原合戦の説明の看板。
こちらがリニューアル前の様子。
リニューアル後は3D地図でかなり見やすい看板に変わりました。
説明の音声が健在でこちらは以前と同じでした。
リニューアルだけでなく、陣跡が新しくできたという場所があります。
それは数年前にできた新陣跡がこちらの東軍・細川忠興の陣跡。
看板もしっかり立っています。
石碑もまだキレイですね。
関ヶ原の戦い当時の細川忠興といえば、正室のガラシャが大坂城の玉造の屋敷におり、石田三成が人質にしようとしたが拒んで自害。
さらには自分の嫡男忠隆の正室・千代と共に隣の宇喜多屋敷に逃げたことを怒って、千代と離縁させることに。
それを忠隆が反発したため、廃嫡されてしまいます。妻の自害だけでなく、息子も廃嫡しなければならなくなっていたのですね。
小山評定では一番早く石田三成への嫌疑があるため東軍に参加することになり、合戦でも大活躍し首級は130以上もあげました。
もともとは豊臣恩顧の大名だっただけに、東軍につくという選択は他の大名にも影響を与えたということです。
そんな細川忠興の陣跡はホッコリした公園に隣接されています。
住所:関ケ原町大字関ケ原4008
駐車場:20台、トイレあり
<アクセス>
JR関ケ原駅から北へ徒歩25分
<サイト>
http://www2.kanko-sekigahara.jp/historicsites-sekigahara/008.html
住所:岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原811−104
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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