続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2020.08.25
徳川家康が、江戸に入城するきっかけのひとつとなった豊臣秀吉の小田原攻め。
その小田原城は、公式ホームページにも記載されている通り、難攻不落の城としても有名です。
難攻不落と呼ばれる最大の理由は、町全体を堀で囲ってしまったこと。
秀吉の小田原攻めに対抗するために、北条早雲がつくった外郭は、総構えと呼ばれ、小田原の街をすべて城内として、八幡山から海岸までの約9㎞の土塁と空堀で囲んだものでした。
もちろんこれは、北条早雲が町民も含め、町全体を守ろうとしたために行った作戦です。
(詳しくはこちらの記事でご紹介しています。)
この総構えがあったため、秀吉はなかなか小田原城を落とすことができませんでした。
家康が江戸城に入ってからの小田原城の城主となったのは秀吉から命を受けた大久保忠世です。
あまり知られていないかもしれませんが、なかなかの兵で、長篠の戦で活躍したことから、織田信長に「よき膏薬のごとし、敵について離れぬ膏薬侍なり」と称賛され、さらに家康からもご褒美がでたそうです。
とはいえ、家康は小田原城の敷地は縮小し、自ら軍を率いて総構えを撤去したということです。
さて、そんな小田原城ですが、小田原城に入城するには、正面入り口のほかに、北と南の入り口から入る方法があります。
もちろん入り口ではありますが、出ることもできますのでご安心ください。
南入り口からすぐ右手にはみごとな藤棚があり、春先の見ごろの時期には藤の花がみごとに咲き誇ります。
また左前方には、三の丸小学校があります。
とても広いグラウンドを持つこの小学校は、一般的なつくりとは違っていて外観がお城に馴染む和風のつくりになっています。
その三の丸小学校を左手に見ながら歩いて行くと大きな交差点があります。
この道路、国道一号線を左、小田原駅方面に曲がるとお城から出たのに、お城?でもお城にしては小さくない?という建物が見えます。
薬の『ういろう』
関東では知る人ぞ知る妙薬『ういろう』。
妙薬『ういろう』と呼ばれている薬は『透頂香』ともいいます。
その理由は、当時の貴紳が冠の中に薬を入れて持ち歩いていたときに、頭の熱で薬の表面が溶けて香りを発したことから、その時の天皇によって『透頂香(とうちんこう)』という名を賜ったのだそうです。
650年も前から同じ原料でつくっているということで、大変貴重なお薬。
通販もされていないので、小田原城に行ったときにしか購入することができません。
見た目は小さな粒で、お菓子のトッピングのアザランや仁丹のようですが、とても貴重なお薬で万能薬と書いてあります。
歌舞伎十八番の有名な演目に『外郎売(ういろううり)』というものがあります。
劇中で語られる長台詞が有名で
この『外郎売』がまさにこちらのお店の『ういろう』のこと。
その長台詞の中に、薬の効能についてが語られます。
「先ず、この薬をかように一粒舌の上にのせまして、腹内に納めますといやどうにも言えぬは、胃、心、肺、肝がすこやかになりて薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し」
「魚、鳥、きのこ、麺類の食い合わせ、その外、万病速攻ある事神の如し」
まさに万能薬ですね。
今から650年も前から現在に至るまで受け継がれてきた薬『ういろう』。
健康に相当の気づかいをしていた家康も試していたかもしれませんね。
小田原城南入口から
国道一号線に出て小田原駅方面すぐ。
詳細はお店のホームページをご覧ください
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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