武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2020年9月8日記事のため内容が古い可能性があります。

秀吉の小田原攻めで布陣した家康陣地跡

2020.09.08

豊臣秀吉の小田原攻めは、小田原征伐、小田原の役、小田原の戦い、小田原の陣などとさまざまな呼び方があります。

小田原攻めは、1590年に秀吉が北条氏(後北条氏)に降伏させた戦いで、この小田原攻めには徳川家康も参戦しました。

その際、家康が陣を張ったとされる場所が、現在の小田原市寿町にある『徳川家康陣地跡』です。

 

小田原攻め先鋒の『徳川家康陣陣地跡』

家康は、小田原攻めでは豊臣方の先鋒として、約三万人の兵を率いて出陣しました。

その際、三方から箱根超えをした陣が合流した場所がこの『徳川家康陣地跡』です。

豊臣方は、

三島から宮城野を経て明星岳を超えて久野諏訪原に出た陣

箱根の鷹ノ巣城を隔てて湯坂を超えた陣

神奈川県の足柄城、新荘城から足柄を超えた陣

の三方から箱根を超えた陣が、ここで合流し小田原城の東に当たるこの場所に布陣しました。

 

関東惣無事の儀

秀吉が行った小田原攻めは、そもそも秀吉の『関東惣無事の儀』という考えに、いつまでも曖昧な態度を示していた北条氏に業を煮やして仕掛けた戦いでした。

『関東惣無事の儀』とは、武力を使うことなく豊臣の臣下に置くという考え方。

大名たちに上洛を要請して、臣従関係を誓わせようとしました。

多くの大名が上洛する中で、最後まで引き下がらなかった北条氏。

秀吉の軍とともに関東入りした家康の軍は、当時この今井の地に住んでいた柳川和泉守泰久の宅地を本陣としました。

家康は北条氏が降伏して開城するまで、約110日もの間ここに滞留していたそうです。

 

しかも家康は、北条氏が降伏するまでの間、ただその時を待つだけではなく、小田原城の包囲戦を続けながらも、江戸方面にも兵を進めました。

そして相模国鎌倉郡(現在の神奈川県鎌倉市)の玉縄城を開城させました。

(玉縄城についてはこちらの記事に詳しく記載しています)

 

徳川家康陣地跡は、小田原城から少し離れていて、目立たない住宅地にあります。

 

しかし秀吉の小田原攻めの重要な拠点となった場所。

これからも大切に保存されますように・・と思いました。

 

【徳川家康陣地跡の碑へのアクセス】

神奈川県小田原市寿町4丁目14-15

 

JR東海道線、小田急小田原線:小田原駅 下車徒歩25分

箱根登山鉄道バス:今井 バス停下車すぐ

 

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rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

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