徳川家康の側室「お万の方」とゆかりのある「蓮永寺」
2024.04.01
2021.07.30
戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。
九州平定後、完成した聚楽第にて政務を行うようになった秀吉は、
ここに徳川家康ら諸大名を招き、自身への忠誠を誓わせます。
世継ぎである鶴松も生まれ、まさに我が世の春を謳歌する秀吉。
松井田城と山中城攻めを皮切りに、いよいよ北条氏征伐へ乗り出します。
山中城を1日で陥落させ、韮山城などの支城を次々と攻め立てる豊臣軍。
忍城の戦いでは水攻めが不発に終わり苦戦したものの、
20万を超える圧倒的な軍勢で、北条方をじわじわと締め上げてゆきます。
山中城跡
所在地:静岡県三島市山中新田410−4
韮山城跡
所在地:静岡県伊豆の国市韮山438−3
忍城跡
所在地:埼玉県行田市本丸17−23
町全体を土塁と空堀で囲う総構えで鉄壁を誇った小田原城ですが、
圧倒的な兵力差と調略により、内部からほころびが生じ始めます。
そんな北条方の戦意をくじくため、秀吉がくりだしたのが得意の「一夜城」。
石垣山に突如として現れた城を目にし、北条方の心は一気に降伏へ傾きます。
その後、小田原評定を経て北条氏直が降伏し、小田原開城となりました。
宇都宮で関東・奥州の戦後処理を行った秀吉は、最後の仕上げへ。
若松城(当時は黒川城)に入り奥州仕置を完了し、ついに天下統一を果たしました。
小田原城
所在地:神奈川県小田原市城内6−1
石垣山城跡
所在地:神奈川県小田原市早川1383-12
会津若松城
所在地:福島県会津若松市追手町1−1
年が明けて1591年。天下人となった秀吉に悪夢が襲いかかります。
弟・秀長が大和郡山城で、嫡男・鶴松が淀城で立て続けに病死。
頼れる右腕と可愛い跡継ぎと失った秀吉の悲しみは計り知れません。
甥・秀次を養子とし関白職を譲り、太閤となった秀吉。
このあたりから、順調だった歯車が少しずつ狂ってゆきます。
大和郡山城跡
所在地:奈良県大和郡山市城内町2−255
其の一は、忍城攻めの際、石田三成が水攻め用に築いたと言われる石田堤。
映画にもなったこの戦いで、三成は戦下手なイメージが付いてしまいました。
其の二は、石垣山一夜城跡の近く、海蔵寺にある堀秀政の墓。
文武兼ね備えた名将でしたが、小田原征伐の最中に病で亡くなりました。
其の三は、大和郡山城跡近く、豊臣秀長を祀る大納言塚。
この人がもう少し長生きしていたら、と思わずにはいられないお方です。
石田堤史跡公園
所在地:埼玉県鴻巣市袋326−1
海蔵寺
所在地:神奈川県小田原市早川766
大納言塚
所在地:奈良県大和郡山市箕山町14−8
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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